はじめに
旅色のファンコミュニティ「旅色LIKES」で実施した第一回ライター講座。メンバーのうち30名から「人に教えたい旅体験」をテーマとした原稿を募集しました。その中で優秀作品として編集部が選んだ記事をご紹介します。海外旅行が遠のいている今、サヤカさんが脳内トリップしたかつての刺激的なインド旅とは。◆この記事を書いたメンバー
サヤカさん都内在住トラベリーマン(ただの旅好き会社員)。もっぱら海外、時々国内も、改めて日本の素晴らしさを知る旅を深めたい! 今日この頃。好きな旅スタイルは、#リゾート #温泉 #海 #ホテルステイ #絶景 #世界遺産 #のんびり #非日常 #癒し #美味しい #現地集合 #ANA派 #歩く #そこにしかない空気感。
かつての刺激溢れる旅に、いざ脳内トリップ
着いた途端に否応なく、生きるエネルギーみたいなのを感じて、圧倒されて、記憶に残る。パァー、パァー、パァー。爆走する車と、リキシャと、人と、牛と。途切れなく鳴り響くクラクション。B&Bに向かう車の助手席で、間違いなく私の顔はひきつっていたと思うわけで。その旅先は、インドです。なぜ、インドに向かったか?
『ガンジス河でバタフライ』(たかのてるこ、2000)に強烈に惹かれ、モーレツにやってみたいと思っていたから。実は本は読んでいないので、なぜかはわからない。タイトルの、クロールではなく、敢えての「バタフライ」という選択が絶妙に面白かったからか。死体が流れ、凡そ衛生的とは言い難いヒンズー教の聖なる河を、用を足した尻を洗う便座が自慢の日本から来て飛び込み泳ぐというギャップに、萌えたのかもしれない。そこに、始めて数年経ったヨガを本場で感じたいという想いや、寝転んだ頭にオイルを垂らすのがやたらと印象的なアーユルヴェーダで癒されてみたいという気持ちも重なり、めでたく、インドに呼ばれた。いや、本当のところは、ただ単にがっつり2週間の休暇が取れただけなのだが。
日本からタイ経由で、ガンジス河が流れるバラナシに入り、タージマハルがあるアグラ、ピンクシティと呼ばれるジャイプールと列車で移動。その後は南へ飛んで、アラビア海に面したトリヴァンドラムでアーユルヴェーダ三昧、インド最南端のカーニャクマリにも足を延ばした(人はなぜか先っちょに引き寄せられる)。そして、チェンナイから帰国の途に。初日の宿は決まっておらず、列車の切符も取れていない中、大きめのリュックに旅支度を詰め込んで、期待と少しばかりの緊張をもって出発したのは、後にも先にもこの旅だけになるだろうと思う。
さて、果たして私はバラナシでガンジス河にダイブしたのか? 結論からいうと、飛び込みませんでした。ええ、インドくんだりまで来て、ヒヨリマシタトモ。冬の北インドは想像よりも寒い。日本からもっていった風邪で咳は止まらず、シャンシャンシャンシャンってプージャー(礼拝)の音は夜な夜なすごいし、ガート(川岸にある沐浴用の階段)では毎日なんか燃えて煙だし、臭いだし、犬だし、ヤギだし、チャイ売りだし、カレーだし。言い訳が随分と渋滞気味で、初めてのインドに圧倒されていたのは言うまでもない。
宿泊していたガンジス河沿いのB&Bの前で夕日を見てたら、現地の男の子に話しかけられた。珍しく物売りではなくて、ホッとする。どっからきたのかとか、なにをしてる人なのかとか、幸せか、とかとか。シンプルでストレートな質問ほど答えにくいものはない。男の子曰く、「自分は何ももってないけど、毎日ガンジス河の夕日を見られて幸せ」。幸せって、そういうことかと妙に納得できて、割と簡単に幸せを感じられるようになれたのは、旅得。ここには、生きて、沐浴して、祈る生活があって。そっか、バタフライをしに来たんじゃなくて、これがインドに呼ばれるってことかと気付いた。
ガンジス河のガートで沐浴する人々 B&Bの前から眺めるガンジス河の夕日 インド最南端のカーニャクマリの沐浴風景 カーニャクマリで祈る子供たち
ギブミーマネーな人たち。
「金をくれ」って、ドラマの中の台詞じゃないの。一生言われる事がないと思っていたこんな台詞を、旅も早々の段階で聞くことになるとは。夜中に隣駅まで車を走らせてくれたバラナシのドライバー。バラナシからアグラへの切符は準備しておらず、現地で手配した。宿泊していたB&Bのオーナーに相談したところ、親切にも列車からタクシーからを手配してくれた。名残惜しいながらもバラナシを後に、タクシーに乗り込んだ。当初予定した最寄り駅からの切符は取れなかったため、隣駅に向かう。かれこれ1時間以上のドライブだったと思う。ところが、乗ってから、しまったと気付いた。真っ暗な見知らぬ土地の、つい先ほど紹介されたばかりのドライバー。何処を走っているのかも、いつ着くのかもわからない。もし、突然車から降ろされたらと想像するだけで、無防備な自分に嫌気が差した。
真っ暗闇で車は止まり、ドライバーが着いたと一言。周囲に駅らしい灯りなどなく、駅なんてないじゃないかと泣きたい気持ちをよそに、早く降りろと促される。観念して車から降り、方向を尋ねると、指差された先に入り口が見えた。安堵の気持ちで駅に向かおうとしたその時、ドライバーは片掌を上向きにゆっくりと差し出し、そしてこれ以上ないくらいにはっきりと、「ギブミーマネー」と言った。一瞬耳を疑いながらも、金をくれって仰いましたよね! かなり業務的に仰いましたよね!! と私は心の中でシャウト。確かに夜のロングドライブだし、感謝の意を込めてチップのひとつやふたつは人として当然だ。が、今度はさっきの調子で「モア」。言ったもん勝ちじゃないんだから。
そこから先は、「差し出される掌」と「モア」との戦い。行きたいところには連れて行ってくれず、自分が見せたい場所にリキシャを走らせるジャイプールのソニー。遺跡を案内してあげる、金をよこせなんて言わないよ、とくっついてくる南インドの土産物屋の青年。出口の前にあった自分の店で何か買えと物凄く食い下がられた。そして、明らかに観光客が群がっていない、つまりは見るべくもない空いてる場所だけを指差しで案内するヒンズー寺院のじいさん。チップをせがまれ出したものの、少額過ぎて挙げ句の果てにいらぬと言われる始末。何とかして金をせしめてやろうという人たちとの小競り合い的な攻防の中で、インド式の交流を満喫したのは、今となっては良い思い出。
リキシャのソニー ソニーが一目散に向かったジャイプールの「風の宮殿」
列車は進まないよ、いつまでも。
インドの列車は遅れる。これも鉄板ネタ。だから、インドの旅は余裕をもって行けという。もしくは、臨機応変さを。それでも何とかなるだろうと高を括っていたら、規格外の洗礼を受けることになった。「インドに行くなら絶対に観て。あんなに美しい建物は他にはない」と、インド経験者の友人からの猛プッシュを受けて、行き先のひとつにタージマハルを加えた。世界一の美しさを誇るとも言われる白亜の霊廟。寝台列車でバラナシを出れば、翌朝にはアグラに着いて、タージマハルだ。ちょっとやそっと遅れたとしても、昼過ぎには観光できるだろう。
さて出発は、暗いホームで野良牛とネズミと蚊と戯れながら。列車はゆうに2時間遅れで入ってきたものだから、待ってる間、怖いし、寒いし、心細いし。とはいえ来るものは来る。無事に乗り込んで、席(ベッド)を見つけたら、落ち着くように整えて、早速リュックを枕に一眠り。横になれる安心感に包まれたのも束の間、列車が止まったようだ。どうやら霧で進めないらしい。冬の北インドは霧が多く、こうやって列車が止まることが多いとのこと。そんなものかと、進み出したので、うつらうつらとしていると、また止まった。何度かそうこうしているうちに窓の外は白んで朝が来た。
夜が明けても延々こんな調子で、誰から聞いたか、大幅に遅れているらしい。全く目的地に着く気配がなく、午前が過ぎ、乗り合わせた韓国人の男の子が先程停まった駅で買ったというサモサを分けてくれた。食べるものはリュックにあったけれど、有り難く頂いた。カレー味のじゃがいもがパサパサしてたけど、貰わなければこの旅でサモサは食べてないなと思うと、妙に美味しく感じられた。
そろそろ着いてもらわないとさすがに観光できないなと若干の諦めとともに陽が傾き始めた頃、もしかして乗り過ごしたのかと、いつまでたっても目的地に着かない状況に焦りを感じた。たまに駅に停まるものの車内アナウンスはなく、ホームは長くて目を凝らしても看板は見当たらず、駅名がわからない。居ても立っても居られなくなり、向かいに座っていた親子連れに聞く。次だと教えてもらうと、霧はなく、車窓からは綺麗な夕日が見えた。着くとすっかり日は落ちていて、数えてみれば、なんと予定より12時間遅れ。インドはこうでなくちゃね。
アグラの思い出は、駅とホテルの真っ暗闇を往復で突っ切ったオートリキシャのおじさんと、うっすらとホテルの窓から見えたシルエットのタージマハル。散々っ腹、おじさんに予定変更を勧められたけど、次の目的地に向かうためにアグラを後にした。融通の利かなさを自嘲気味に。そして、日本に戻ると通勤の山手線が4分おきに間違いなく来る毎日と、ひっきりなしのアナウンスにうんざりしたのを覚えている。
霧に煙る駅 アグラに向かう寝台列車の中
2012年12月のインドは、自由気ままに飛び回れて、そして面白かった。今はコロナで閉塞感が半端ないけど、旅の記憶はそういうものを案外簡単に吹き飛ばしてくれる、かもしれない。好奇心の赴くままとか、刺激が強いものであれば、なおさら。ざらりと感触の残る生モノ的体験であればあるほど。コロナ後にいく旅先は、同じ場所であっても、これまでとは違うトコロに変質するのだろうか。ともあれ、脳内トリップ、恐るべし。
さてと、明日はどこへ行こうか。
南インドでの一枚・アラビア海に沈む夕日