「中央アジアの北朝鮮」との異名をとる独裁国、トルクメニスタン。そのチャーターフライトが往復わずか200ドル。このツアーについて書き始めたところ、ネタがあまりにもテンコ盛りで、現地に到着するまでの文章量が多くなりすぎた。そこで2部に分け、肝心の現地がどうだったのかについてはこの後編でお伝えする。爆安ツアーの設定やトルクメニスタン航空に興味がある方は前編を確認してほしい。
驚愕の「トルクメニスタン200ドル激安ツアー」 謎に満ちた2泊3日弾丸ツアーの全貌(前編)
https://www.traicy.com/20190713-fukabori
最近旅先で驚くことが少なくなった。南米に行こうがアフリカに行こうが、世の中は均質化し、事前にネットで得た情報と大差ないできごとが目の前に現れる。だが、トルクメニスタン弾丸ツアーは、そんな腐りきった旅行者の惰性を叩き切ってくれた。
羽田からのトルクメニスタン航空チャーター便は、定刻よりも30分早くトルクメニスタンの首都アシガバート国際空港に到着した。着陸直前に見えたターミナルビルは、白亜のハヤブサのような形状をしている。鳥の形をした世界最大の空港建築でギネスブックに登録されているとか。いやいや、最大以前に鳥の形をした空港建築などほかにあるのだろうか。
立派な空港ではあるが、機体の数は少ない。沖止めとなった機体の外にはお偉いさん方や民族衣装を着た子供、報道陣などが待ち構えていた。
前編で触れたが、この200ドルの超格安チャーターフライトは、川崎重工の主導する天然ガスプラントの完成を祝う式典に出席する人々を運ぶのが主目的である。前方のドアからは日本の政治家や企業関係者が降りて歓待されているのだろう。後方のドアの旅行者はお預けを食らったが、もちろん文句を言える立場ではない。タラップのたもとには可愛らしいこども4人がピシメと呼ばれる揚げ菓子の満載されたトレイを持って待ち構えている。その後、何度となくこの光景が繰り返されるのであった。
利用者1人につき8万円(?)かかっている超絶豪華空港ターミナル
川崎重工背広組はみな目の前のVIP、CIP専用の入口に吸い込まれていった。我々ビンボー旅行者組はバスに乗せられて遠く離れたところに連れて行かれた。そのあたりの「区別」は明確なのだ。だが、ターミナルに入り目を見張った。2016年に完成したこの建築は白と緑を基調としており、きわめて洗練されている。こんなに美しい空港に遭遇したことはちょっと記憶にない。
だが、美しいものは金がかかる。この空港の建設費は約2,450億円だったらしい。日本ではザハ・ハディドの設計した国立競技場の建設費が2,520億円で高すぎると非難轟々で取りやめになったことがあるがそれとほぼ同額。年間1,700万人の利用客を処理できる能力があるというアシガバート国際空港の年間利用者数は推定で10万人。ちなみに羽田空港は8,750万人である。
仮にこのターミナルの寿命が30年間と仮定した場合、2,450億円を30年間の利用者の300万人で割ると1人81,700円ほどになる。つまり利用者1人につき、8万円以上の空港使用料を徴収しなければペイしないという計算だ。利用者1人あたりのコストでは、こちらこそギネスブックものである。グーグルマップの航空写真を見ると、近くにやはり鳥の形をした「大統領専用ターミナル」というやつもある。この国の唯一絶対的な存在、ベルディムハメドフ大統領のトップダウンで物事が決まるこの国で、そもそも1人あたりのコストなどという概念は意味がないということを後々思い知らされることになる。
何はともあれ長く美しい動く歩道の突き当たりには顔認証システムがあり、入国審査も瞬時に終わった。入国審査官はにっこり笑いながら「コンニチハ!」の一言。アメリカの無愛想な入国審査官も見習ってほしい。
グーグルもフェイスブックもツイッターもLINEも使えない
税関を抜けると地元テレビ局のカメラが待ち構えていた。どの道全員揃うまでは身動きがとれないわけだからインタビューを受けることにする。質問は「トルクメニスタンについてどのようなことを知っていたのか」「トルクメニスタンと日本の友好について一言」といった定番もの。返答する場合も芸がないと思いつつ、ありきたりな返事を返すことしかできない。もっともヘンな回答をしたところで使われるわけもないのだが…。
ちなみに空港の到着ロビーにはSIMが売られていた(1GB25ドル・4GB50ドル)。もっともこの国ではグーグルもフェイスブックもツイッターもLINEも使えない”中国状態”である。
さて、トルクメニスタンの見どころといえば、大きく分けて2つある(というかその2つ以外にはあまりない)。その一つが首都アシハバードの美しくギネス認定連発の建築。もう一つが砂漠のなかにぽっかりと空いた地中の穴で天然ガスが漏れ、ひたすら火が燃え続けている「地獄の門」である。1日目は午後に着き、博物館や市内観光、2日目は朝から「コンサート」、昼にモスクなど、午後から深夜にかけて「地獄の門」へ。3日目は朝空港に向かうだけ。事実上1.5日しか与えられていなかった。
すべての車が「白い」理由とは?
アシガバートの人口は公称約100万人。この国の2割近くがこの都市に住んでいる。空港を出て最初に気づくのが車の色。白白白白、とにかくすべての車が白である。2018年に入り、アシガバートで「黒い(暗い色の)車」の使用が禁じられたのだが、どうもその黒が拡大解釈されたらしい。理由は「大統領は白が好き」というこれ以上ないほどシンプルなもの。大使館の車といえば黒が定番だが、アシガバートに駐在する日本大使の専用車すら白らしい。
白は車だけではない。アシガバートの新市街に沿道に立ち並ぶ店舗や集合住宅、それらはすべてが白い。しかもただ白く塗ってあるのではなく、多くが真っ白な大理石で出来ている。最初はトルコやギリシャから輸入していたが、あまりにも輸入しすぎて底をつき、中国や台湾、南米のチリからも輸入するようになったらしい。さらに天然大理石では追いつかないので人工大理石にまで頼っているとか。建設会社が必要な量の大理石を用意できないと、建設の許可がもらえないらしい。
浮世離れした大理石のリアル「シムシティ」
ここまで白い大理石で徹底している理由は「大統領は白が好き」だそうで…。理由はともかく、ひたすら白い大理石で統一された街並みは、現実感を失うまでの均質性を持っている。この都市の街並みを「シムシティのようだ」と評した人がいたが、言い得て妙である。
アシガバートは「白亜の大理石建造物の凝集度の高さ」としてギネスに認定されている。ギネスもなにも素人目にみて、2番手が思いつかないほど圧倒的である。しかも天井の高さが4メートルとやたらに高い。すぐに二言目にはコスト、コストという国では決して見ることのできない「ゆとり」が景観に現れている。
単に大理石の建物が連なっているだけではない。広々とした道路や植え込みは頻繁に掃除されており、塵ひとつ落ちていない。そして信号機や街灯のひとつ一つが金メッキされ、アールヌーボーのようにデザインされている。白・金・そして植え込みなどの緑の3色だけで構成されており、広告などもまったくない。未来都市のようであるのに、かつての社会主義国をも彷彿とさせる。
夕食後、30度台前半まで気温が下がり、少しだけ過ごしやすくなった中、さらに市内観光は続いた。日中は白く輝いていた建物には強いスポットライトが当てられ、さらに美しさを増す。パリやプラハといった伝統的な建築ではなく、新しい建築に頼る街並みとしては世界でも類を見ない美しさなのではないだろうか。そして、その美しさは膨大なお金と手間に支えられているのである。
パトカーが先導して、赤信号でも進むバス
ツアー2日目の朝、我々はコンサートに行くことになっていた。正直憂鬱だった。トルクメニスタン行き弾丸ツアーはすべての行程が事前に決められており、出発の数日前、大使館から、「みなさんをコンサートに招待します。」という連絡が来ていた。ただでさえ中1日しかないのに…。だがあれこれ細かな要望が通る気配もなく、素直に従うしかない。
お偉いさん方が天然ガスプラントで式典に参加している間、我々ツアー組80人ほどはプラント近くでそのコンサートとやらを見学することになるらしい。
ホテルから2台の大型バスを仕立てて会場に向かう。我々のバスをパトカーが先導した。すると、このパトカー、警告灯を回しながら、赤信号でもかまわずズンズン進んでいく。そして、交差点ごとに警官が立ち、側面から来る車をすべてストップさせている。
これがウワサに聞くVIP扱いというヤツか。沿道は警官が一定の間隔で監視している。文革の頃、毛沢東が乗る列車を警備する警官が、内蒙古でも走行する2週間前から50メートル間隔で並んでいた(どの日に列車が通るかをカモフラージュするため)らしいが、それを彷彿とさせる。今日の式典にはベルディムハメドフ大統領も来るのだろう。
30分ほど北上したところでバスが速度を緩めた。地平線の果てまで続く平らな砂漠のなかにざっと500人は下らない人たちが待ち構えていた。これが「コンサート会場」だったのだ。
トルクメニスタン式「リアル絵巻物」にアイス食べ放題
細長く延びる会場は、セクションごとに催しがあった。赤い絨毯の上で伝統的な衣装を身に纏い、踊りを披露する人々、隣では畑からメロンを収穫しているパフォーマンス(トルクメニスタンにはメロンの日がある。これは初代大統領であり、独裁者として知られたニヤゾフ大統領の鶴の一声により制定されたものだ)、そして一番端にはトルクメニスタン原産で黄金色に輝く馬、アハルテケに騎乗した隊列だった。強い太陽光を反射した馬体は汗をかき、文字通り輝いている。さらにラクダへ乗る体験、結婚式のパフォーマンスと続いた。トルクメニスタン式の相撲では、ツアー参加者の日本人の若者が参戦し、ガチ勝負を挑んでいた。
催し物は伝統的なものだけではない。なぜか砂漠の真ん中なのにアイスクリームが山ほど入った冷蔵庫があり、すべて食べ放題。夢のようなもてなしだが、現実は2個が限界である。
我々のスケジュールは分刻みで管理されており、数分ごとに隣のセクションのパフォーマンスが始まる。その様子は「リアル絵巻物」だった。
この日の夜、テレビをつけると同じような催し物がほかにいくつも行われていた。彼らはこうした伝統的な祭りを頻繁に行っているのだろうか。道理で隙がないわけである。
大統領が目の前に…
ユルタとよばれる中央アジアの移動式テントで食事を振舞われている途中、「みなさん外に出てください」と促された。プラントの式典に出席した大統領の車が目の前の道を通るのだという。
ツアー参加者はもちろん、それまでパフォーマンスしていた何百人のトルクメニスタンの人々もすべて沿道に向かい、車列がやってくるのを注視する。大統領の乗る(もちろん)白い車は3台連なり、そのどれに乗っているのかは分からない(無論テロ対策である)。すると、我々の会場の目の前にピタッと止まった車の窓ガラスがするすると開き、ベルディムハメドフ大統領その人が姿を現した。拍手喝采が上がる。
ベルディムハメドフ大統領というのは、競馬をやっては落馬したり、孫とラップを演奏したりと、実に「独裁者」っぽくない人物なのである。
Turkmenistan's president performs in rap video with his grandson
https://www.youtube.com/watch?v=JsNioEnxeNs
式典の帰り道とはいえ、大統領の姿まで見られたのも、こんなツアーである。
そして地獄の門へ
赤信号は無視してパトカー先導。アイス食べ放題で大統領まで挨拶してくれた。それだけでお腹いっぱいなのだが、この日の午後には車で往復10時間以上かかる「地獄の門」まで行ってしまうという超強行軍が待ち構えていた。
「地獄の門」というのは通称であり、正式な名は「ダルヴァザ」。1971年に天然ガスの調査をした際に落盤事故が起こり、巨大な穴が地表に空いてしまった。吹き出てくる有毒なガスを食い止めようと火をつけたのはいいものの、その後火が消せなくなり、38年にもわたってひたすら地下で火が燃え続けているという漫画のような本当の話である。その景色が絶景として話題を呼び、近年はとりわけ旅行者に注目されるようになった。今回のトルクメニスタン行きに即乗ってきた知人の佐瀬君も開口一番「ダルヴァザはツアーに入っているんですか?」と聞いてきた。
ダルヴァザは首都のアシハバードから北に26キロ。まわりには何もない砂漠の平原である。我々ツアー客を乗せたバスの前にはやはりパトカーが全行程先導することになった。
ダルヴァザへの道は遠く、途中はガソリンスタンドでのトイレ休憩くらいしか楽しみがない。そこでもビールは売っていないので酒飲みにはつらい道中となった。だが、今回のトルクメニスタン行きのツアー参加者は戦闘能力が高い。参加者の一人がこのガソリンスタンドでドルが現地通貨のマナトに換えられることに気づいたのだ。公定レートだと1ドル3.5マナトなのだが、ここでは15マナト。公定だとビール1本300円のところがいきなり70円で済む勘定である。だが、散財しようにもホテル、レストラン、移動のすべてが支払い済みなので、正直両替の成果を発揮できるところがほとんどないのが実情だった。
ダルヴァザへは大型バスでアクセスできないので10キロほど手前でワンボックスに乗り換える。だが、このワンボックスはいったいどこから手配してきたのか。今回の旅は何かと謎が多い。ちなみにバックパッカーはメインロードのチャイハネで降り、そこからGPSを頼りに歩いていくらしい。暗い時間は地下からの火で暗闇に光り目印になるが、帰りはそれが何もないので難しいとか。
ダルヴァザは思っていたよりも小さな穴であった。かつてより火の勢いは弱まったといわれているが、それでも風向きによっては下を覗くのがしんどいほどの熱風が押し寄せる。今年になってからか、柵が設けられてしまったが、みな思い思いに写真を撮っている。
ダルヴァザには鳥がいた。その鳥が何度も火口へ突っ込んでは離脱していく。どうもそこに虫がいるかららしいのだが、虫は光を求めてここに集まってくるのか。我々にとっての「地獄」も虫にとっては貴重な光源なのかもしれない。
ダルヴァザのクレーター近くのテントで夕食をとり、日没後再びクレーターへ。現地を午後10時30分に出たバスがホテルに着いたのは午前3時を回っていた。翌朝は朝食後、午前9時に空港に向かうという。いったいどんな強行軍なんだよ…。
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200ドルという価格がなければおそらくトルクメニスタンに行くことはなかった。そういう意味ではまったくの偶然といってもよい。だが、そのおかげで短いながらも数奇な体験をすることができた。トルクメニスタンで出会った人たちとはその後、フェイスブックで繋がり、打ち上げには14人も集まった。
その後でニュースで、アシガバートが世界で最も生活費の高い都市にランクインしたことを知った(これは公定レートでの換算なのだろうが)。天然ガス一辺倒の経済は地域的なリスクをともなう。この国が今後観光地として成功するかどうかは分からないが、ごく短期間滞在しただけにもかかわらず、世界中のほかの国にはない強烈なインパクトをもたらした。それはトルクメニスタン政府の意図したものではないのかもしれないが、案外意図せざる結果のほうが旅人にとって面白いものなのである。
また、この国に足を運ぶのがいつになるのかは分からない。ただ、2泊3日とはいわずに次回はもっと滞在したい。VIP扱いでなくていいから、もっと現地の人と知り合いになりたい。そして、この世界中のどの国にも似ていない国について、もう少しだけ理解したいと思い、羽田に向かったのだった。