日本航空(JAL)の東京と広州とを結ぶ定期路線があす4月5日、就航20周年を迎える。これを記念してきょう4日、羽田空港でセレモニーが実施された。
20年前の1999年、東京/成田〜広州線を開設したのは、JALとの統合前の旧日本エアシステム(JAS)だった。旧ハーレクインエアの機材(マクドネル・ダグラスDC-10-30型機)・乗員のウェットリースで、週2往復を運航していた。その後、2004年の経営統合でJALに引き継がれたのち、2015年の羽田空港中国路線発着枠拡大合意を受けて東京/羽田〜広州線に移管。現在は、ビジネスクラス30席、エコノミークラス176席のボーイング787-8型機で1日1往復を運航している。
東京/羽田〜広州線JL87便の出発に合わせて112番ゲート前で行われたセレモニーには、JALの植木義晴会長、国土交通省東京航空局の森本園子東京国際空港長、東京国際空港ターミナルの土井勝社長と中国駐日大使館の宋耀明公使が列席。冒頭で植木会長があいさつに立った。
1975年にJALにパイロットとして入社した植木会長は、「一番最初の愛機が(就航当初の機材の)DC-10だった。20年間飛ばしたが、なかなかの暴れん坊で操縦が難しい。腕の見せ所という飛行機だった」と回顧。昨年、20年ぶりに訪れたという広州については、「中国でも一番活気の溢れる街だと思う」と話し、以前と様変わりして超高層ビルが所狭しと立ち並ぶ景色に感動したという。さらに、広州の食文化についても触れ、「食は広州に在り。私の大好きな飲茶も広東料理に含まれる」と紹介し、「広州で美味しい広東料理を召し上がってほしい」と締めくくった。
その後、JL87便の山田哲也機長も登壇。「広州空港は秋の台風など、運航乗務員を大変悩ませる空港」と説明したうえで、「開設以来20年間、安全運航を堅持してきた。年号が令和と変わるが、10年、20年、30年と安全運航堅持に努める」と誓った。
植木会長はセレモニー終了後、ゲート前でセレモニーを見物していた空港利用者との記念写真に応じていた。
搭乗が始まると、植木会長や客室乗務員、地上職員らはゲートに並び、記念品を手渡しながら乗客を見送った。