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独立から10年 コソボが今、日本人を狙っている【レポート】




コソボという国の名前を聞いたとき、多くの人が連想するのは90年代後半のコソボ紛争であろう。旧ユーゴスラビア連邦崩壊のさなか、アルバニア人とセルビア人の泥沼の民族紛争を経てセルビアから2008年に独立を宣言したその国は、ヨーロッパで最も新しい国だ。そのコソボが今、日本人をターゲットにした観光産業に力を入れているという。



独立宣言から現在に至るまでの約10年間も両民族間での小競り合いが度々発生し、日本の外務省はコソボ全域への渡航に注意を促す危険情報を発出していた。近年は治安状況が落ち着いてきたこともあり、外務省は2017年5月、首都プリシュティナを含む大半の地域における危険情報を解除。こうした背景もコソボが日本人の来訪に期待する理由の一つであろう。



紛争のイメージを払拭したいというコソボ。2017年11月、現地の観光地を巡った。





コソボ唯一の空の玄関口であるプリシュティナ国際空港へは、成田からイスタンブールを経由しておよそ18時間半。日本人については90日以内の滞在の場合はビザが免除される。




空港からプリシュティナ市街地まではタクシーでおよそ30分。約15ユーロ。




空港周辺は少し寂しい田園風景が続くが、やがて市街地が近づくと商業施設や集合住宅が目立ってきた。歴史的建造物を除けばそのほとんどは紛争以降に建てられたそうで、意外にも紛争の爪痕は見当たらない。


民族の象徴、マザー・テレサ




中心市街地で背の高い鐘楼が際立つのはマザー・テレサ・カテドラル。その名の通り、マザー・テレサに捧げるために2007年に建てられたカトリック教会の大聖堂だ。マザー・テレサというとインドのイメージだが、民族的帰属はアルバニア人となるようで、コソボやアルバニアの至る所でその功績を讃えるモニュメントや肖像画が見られる。この大聖堂は宗教施設としてはもちろん、アルバニア人の象徴としての意味合いも持つという。




ネオ・ロマネスク様式をモチーフにした内部。



ステンドグラスにはマザー・テレサの葬儀が描かれていた。



近隣のコソボミュージアムに収蔵されている肖像画。なんと100万本以上のホチキス針で制作されている。




エレベーターで鐘楼の見晴台に昇ると市街を眺望できる。プリシュティナ中心を東西に走るこの街道はビル・クリントン通り。その名の由来は、言わずと知れたアメリカ第42代大統領だ。コソボが独立に至ったのにはアメリカを中心としたNATOの介入が大きく関わっている。コソボからすれば独立を支援してくれたアメリカ万歳! というわけで、当時のアメリカ大統領の名を敬意を込めて目抜き通りに冠したのだ。イスラエルに建設中の駅が「ドナルド・トランプ駅」と命名されるそうだが、似たような経緯である。




通り沿いにはビル・クリントン本人の銅像が立つ。



さらにその横にはブティック「HILLARY」。もちろんヒラリー・クリントンにちなんでいる。

大統領になっていたら大盛況だったかも。




世界遺産の中世建築に未だ残る緊張




中世から残る建築群も見逃せない。プリシュティナから西へ約70キロ、ジャコヴァ郡デチャン地区のはずれに佇むセルビア正教会デチャニ修道院はその代表だ。14世紀のセルビア王、ステファン・デチャンスキによって建てられた。





ゴシック様式の窓にビザンチン様式のドーム屋根。ステファン・デチャンスキが眠る石棺を、4,000平米に及ぶビザンチン美術のフレスコ画やロマネスク様式の柱が囲む。異なる美術様式が融合された建築の傑作として、2004年に世界文化遺産に登録された。



ところがコソボは世界遺産条約を批准しておらず、一般的にはセルビアの世界遺産として扱われる。コソボはセルビア正教会の聖地でもあり、この修道院は言わばセルビア人の象徴。そのためNATO指揮下の治安維持部隊(KFOR)が周辺を監視し、民族衝突を防いでいる。民族融和の道を歩もうとしているとは言え、こうした部分では未だ緊張も垣間見られた。




撮影することはできないが、正門の真横にはKFORの装甲車が控えている。



ムスリムのアルバニア人が人口の大半を占めるコソボには、モスクも数多く存在する。ジャコバ郡にあるハドゥム・モスクは、オスマン帝国支配時代の1595年に建てられた。



ブドウなどの植物をモチーフにしたアラベスク(幾何学模様)が美しい。



少数民族の伝統文化を観光に




現地の観光業関係者が特に見てほしいと推すのが、南部プリズレン郡ジュパ地区に住むボシュニャク人に古くから伝わる結婚の儀式。花嫁に特別な化粧を施し、5日から7日にわたって結婚を祝う習慣があるという。今回は取材のために、この地区に住む既婚者のResmaさんが化粧の様子を実演して見せてくれた。





結婚式の朝、花嫁は生まれ育った家での最後の食事を家族と楽しむ。その際に食べるのが、シャリーチーズと呼ばれるハードチーズと、ティガニツァという伝統的な揚げパンだ。この朝食を終えると、花嫁は花婿に会って許しを得るまで口を開いてはならないという。





朝食を終えるといよいよ花嫁の準備が始まる。ブライダルメイクアップは、集落ごとにそれぞれ1人だけいるという化粧師の女性が担当する。まずは顔全体に白粉を施す。続いて針金のような道具を使って、金色の顔料で線や円の模様を規則正しく描いていく。金色は豊かさ、円模様は「円滑な夫婦生活が送れるように」という意味があるそうだ。





金色の模様を描き終えると、今度は朱と青の顔料でさらに点や線を入れる。この2色はそれぞれ「子宝」、「健康」を表す。




メイクアップの間は、そばで歌い手の女性が別れの歌を唄う。




最後に頬と顎、眉の上にスパンコールを並べて化粧は完成。写真で見るとあっと言う間だが、ここまでにかかった時間は2時間弱。その間、花嫁は不動のままじっと我慢していなければならない。花嫁になるのも大変である。




ドレスアップの後、花嫁は花婿に会うまで目も開けてはならない。


母から娘へと代々受け継がれているという衣装や装飾品を身に着け終えると、庭に出て家族にだけ花嫁姿を披露する。そして家族で花婿の家に赴き、その家の敷地に入った瞬間に結婚が成立するのだという。



この結婚の儀式はコソボの中でもこの地区のみで行われ、他の国のボシュニャク人の間でも見られない。現地観光業者としてはこの伝統の習慣を観光化に繋げたい考えだが、化粧だけでも2時間、ドレスアップも含めると約3時間におよぶ流れを、観光客にどのように見せるかが課題になっているそうだ。



(取材協力:ターキッシュエアラインズ)

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