これまで数多くのクルマが世に送り出されてきたが、その1台1台に様々な苦労や葛藤があったはず。今回は「ニューモデル速報 第95弾 GTOのすべて」から、開発時の苦労を振り返ってみよう。
新型GTOの開発を率いた鈴木正勝プロジェクト・マネージャーにとって「GTO」というネーミングは、初代GTOの空力特性の改善に尽力した経験から特別なものだった。鈴木はのちにスタリオンを手掛けることになり、インタークーラーターボを出した際には「GTO」と名付けようとしたが、販売サイドからは「古い印象になる」と反対されたため、次期モデルではなんとしても「GTO」と名付けると主張していた。
「スタリオンの頃は、ターボ装着の認可がなかなか降りなかった。しかし、84年ごろの予測では、将来の高性能車は3リッター程度の排気量が必要になると思ったが、当時はV6エンジンの開発がようやく始まったばかり。スタリオンではやむなく2リッター4気筒ターボになったが、パワー不足を指摘されることが多かった。けれども、デボネア用の6気筒が出来上がったので、次期モデルでは絶対に3リッターV6にしようと意見は統一されていた。」
しかし、後継モデルの発売を想定していた90年代には、260〜280psのパワーが求められるだろうと予想していた。また、駆動方式についても検討を重ねる必要があったという。
「実はミッドシップも検討しました。試作の段階まで進んだのですが、乗員は2名に限定されてしまう。スタリオンがラリーでグループBとして国際レースに出場していたこともあって、4人乗りでなくてはならないとしてミッドシップ案は消えました。」
また、実験部隊から4WDの運転特性の良さについての報告も上がっており、1986年には新しいスポーツカーは4WDで進めるという方針に固まった。鈴木は「全天候スポーツカー」というスローガンを掲げ、腕に自信のある少数のドライバーだけのものではなく、路面や天候に関わらず安心して走れることがこれからのスポーツカーだと考えており、そのためには4WDが必要だったのだ。
ただし、4WDの本格的なスポーツカーとなると小型車の幅(1700mm)では足りない。その点について、エンジニアリング部門と開発部門では文句がなかったが、商品化するとなると各部署から賛否両論が出て、その調整が大変だったという。