かつて富士重工業(現SUBARU)のデザイン部長を努めた、難波 治さん。デザインのプロであり、目利きである難波さんが選んでくれた3台の選択基準は、「そばに置いて眺めていたら絶対に楽しくなる」ということ。スペシャルなモデルがそろったが、いずれも大量生産モデルでは実現できないような、感性を刺激する魅力的なデザインをまとっている。
TEXT●難波 治(NAMBA Osamu)
作り手の思いを最大限に形にした、眺めていたら絶対に楽しくなるクルマたち
死ぬまでに乗りたいクルマは?と問われたけれど、まだ先のことなのでわからない。仮に明日死ぬと宣告されたとしたら? そんな一大事にクルマなんか乗っていられますか! しかも、今売っているクルマのなかからが条件だという。ワインだって当たり年とそうでない年がある。クルマも同様。「これに乗らずに死ねるか!」というくらいのクルマなんか、そんなに簡単には現れっこない。それなのに、ずっと憧れていた“あのクルマ”とか、大好きな“このクルマ”は今買えないのでダメだという。さらに、試乗経験がある車から選べというのが条件。僕は自動車ジャーナリストではないので試乗経験なんて事自体がありません!と口を尖らせていたら、そこは許してくれるという。
ということで、長く「造形屋」として自動車のサーフェイスと関わってきた立場で臨ませていただいた。「そばに置いて眺めていたら絶対に楽しくなる」というクルマを選んでみた。作り手の思いを最大限に形にして伝えてくれているように感じるクルマだ。もちろん眺めているだけでなく時にはステアリングを握ってドライブもしたいし、走っても止まっていても、このクルマと共有する時間を楽しめるクルマを選んでしまったように思う。
それでも残念ながら量を稼ぐことを使命とされた量産車には、今回の問いに合うクルマは見出せず、結果として価格が高かったり、オーダーで作って貰わなければならないものになってしまったが、本当に好きな人だけが買ってくれればいいというモデルにはやはり感性の豊かな造形が与えられている。
1台目:メルセデス AMG GT
今やEV化や自動運転、IoTによる新たなサービス価値の創造などで自動車が大きく変革しつつあり、クルマも新しいプロポーション表現を追い求めていたりするのですが、選んだのはロングノーズ、ショートデッキの極めて典型的な2シーターFRスポーツカー。4ℓ・V8だということも一旦脇に置かせていただいて、造形の魅力部分だけでの選出です。
極端に短いFOH(フロントオーバーハング)で低く構えた強い押し出しのノーズの塊りと、500psを超えるパワーを大地に伝えるフロントホイールよりもでかいリヤホイールを包み込むリヤフェンダーのボリューム、一切の突起なく滑らかに立ち上がりリヤデッキに繋がるキャビン造形などは充分に現代を感じさせてくれています。
懐かしさとダイナミックさが共存するこのクルマは、おおらかなサーフェイスで造形されてはいるものの贅肉は一切感じないし、鍛えすぎた筋肉隆々しさで表現もしていない。プリウス同等の4500mm強の長さを2人乗りのために贅沢に使い、車幅は2mに達するが、軸の通ったボディ造形と4つの車輪とボディの重心位置の絶妙で理想的にバランスがその大きさを感じさせない。
全体の佇まいはGTで充分なのだが、ホイールサイズが大きいGTSがよりスポーティだ。しかしリヤバンパー造形やテールパイプについてはGTの丸型がいいと思っている。
2台目:イスパノ・スイザ・カルメン
1938年に生産されたHispano Suiza H6C Dubonet Xenia Coupeのオマージュとして2019年のフランクフルトショーで復活したCarmen。Carmenの話をする前にH6C Dubonet Xenia Coupeの話をしたいくらいにH6Cが魅力的なのである。日本でようやく自動車製造が産声を揚げ始めた時代(昭和10年代)にH6Cは驚くほど先進的な車体デザインをしているのだ。空力を考慮したボディは素晴らしく滑らかで、前輪と後輪のフェンダーは涙滴型、ボディもプランヴューで見れば完全に涙滴型をしている。そして最大の驚きはキャビン。キャビンはほぼ飛行機を連想させる。リヤタイヤは完全にカバーされ、ドアはスライド式で後ろにスライドさせてオープンする。
この驚くほど先進的だったH6Cを復活させたCarmenはそのイメージを保ちつつ見事に現代のバランスへと進化させている。CarmenはカーボンシャシーのEVで復活し、その実力は驚くほどの性能を発揮するらしいが、しかしやはりなんと言ってもそのデザインが素晴らしく魅力的だ。プロポーションは完全に変わってミッドシップのバランスになっており、造形では全体にエッジが強めになっていてカーブのテンションは現代だが、前後のフェンダーは見事にアレンジされて復活している。リヤビューでみるボディ後半とリヤフェンダーの創り出すコウモリのような独特の造形にこのクルマのオマージュがすべて集約されているように感じる。ブランドのレガシーを引き継いで進化させるという考え方はとても素晴らしい。
自動車のデザインに情緒性が失われつつある現代に、このように伝統と先進を併せ持つ、「スタイル」を見せるクルマがあることがとても嬉しく感じている。
3台目:フェラーリ・モンツァ SP2
トリを務めるのはこのクルマ。特に説明は要らないだろう。語れば語るほど野暮になるし僕の言葉では薄っぺらくなる。デザインの良さやその印象は言語では語れないものだと思っている。数学的に見ればその諸元値が示す様々な比率が的確に解析をしてくれるのだと思うし、その数値を用いていくらでも解説は可能だが、今回はそんなことはしたくない。デザインは説明してわかってもらうものではない。感じるままでいい。このクルマもFerrari 166 MM Barchettaのオマージュであるということができるかもしれないが、その域を完全に超えている。
光のグラデーションだけですべて表現されているボディはダイナミックでいながら繊細。スポーティであり優雅でもある。小道具も効いている。トノカバーを連想させるライン、小さなドア、ヘッドレストから流れるコーン、タイトなコックピット。すべてが楽しめる。眺めているだけでニヤリとしてしまう。何時間でも見ていられる。僕はコックピットがひとり分のSP1よりもコックピットがふたり分あるSP2がいい。なぜかといえば喜びを分かち合える誰かがいた方が嬉しさも楽しさも倍以上になるから。
■難波 治(なんば・おさむ)
筑波大学芸術学群生産デザイン専攻卒業後、スズキ自動車に入社。カロッツェリア・ミケッロッティでランニングプロトの研究、SEAT中央技術センターでVW世界戦略車としての小型の開発の手法研究プロジェクトにスズキ代表デザイナーとして参加。独立後、国内外の自動車メーカーのデザイン開発研究&コンサルタント業務を開始。2008年に富士重工業のデザイン部長に就任。13年にCED(Chief Executive Designer)就任。15年10月から東京都立大学(改称前・首都大学東京)トランスポーテーションデザイン准教授。18年4月から同教授。