高めの気温が続く昼間に比べて朝晩の温度差に驚かされますが、そのおかげで木々の葉の色づきもグッと深まっていっているようです。11月に入り各地で紅葉が見頃を迎えています。金色に染まる銀杏の葉、真っ赤に変わった楓などは、茶色く枯れた葉や常緑樹の鮮やかさの中にあってこそ、ひときわ輝いて見えるのかもしれません。
街中よりもやはり、お出かけしてこそ楽しめるのが「錦秋」。見頃はすぐそこに、さあ、行ってみませんか?
目で楽しむ秋「紅葉」は「狩り」するの?
春は「お花見」なのに秋は「紅葉狩り」ってなんで「狩り」なの? と素朴な疑問を持ちつつも、なんだかワクワクするからそのままに使っていきましょう。
お能の演目に「紅葉狩」があります。戸隠山の中で美しい高貴な女性たちが幕を張り巡らして楽しんでいるのが「紅葉狩」。その姿を見て鹿狩りにやってきた平惟茂(これもち)一行は、せっかくの優雅な宴をじゃましてはいけないと、そっと通り過ぎようとします。すると、その袖を引いて酒宴のお誘いが……。
雅びな女性たちと、美しく染まった紅葉を愛でながら酌み交わすお酒の美味しさ。そして楽しいひと時。ほろりと酔いしれ眠りの果てに待っていたのは、美女が姿を変えた戸隠山に潜む鬼神。
惟茂は八幡大菩薩から夢のおつげで授かった刀を手に壮絶な闘いを繰り広げ、ついには打ち勝ちます。優雅な紅葉の酒宴そして、木々を揺らし、葉を舞い上がらせ飛びまわる鬼退治。燃えるような紅葉の中だからこその幻想の世界が楽しめるようです。
【長野県の紅葉見頃情報】
心で感じる秋は「錦繍」に重ねたい
色とりどりの糸で刺繡したり織りだして作る模様の美しい織物、これを「錦繍」とよんでいます。その美しさに匹敵するもの、美しい立派な服や美しいもの、そして美しく紅葉する木々や花のたとえともなっています。秋を表すことばに「金秋」また「錦秋」が使われるのも、美しい織物の「錦繍」を踏まえてのことなのでしょうか。
宮本輝氏の小説に『錦繡』があります。蔵王の紅葉の中をゆくゴンドラ・リフトから始まり、1年後京都山科、秋盛りの紅葉が風になびく料亭で終わります。
10年前に別れた夫と偶然に再会した秋の蔵王。うやむやにしたまま別れてしまった自分の気持ちを、きちんと伝えたいとしたためた手紙をきっかけに、かつての夫との心の交流が手紙を通して重ねられます。10年を経て互いの人生を思いやる心を持つことができた時、女性は新たに生きる一歩を踏み出します。
苦しみや哀しみが織り込まれた心が苦難を克服した時、灰色にしか見えなかった人生が彩り豊かな「錦繍」へと変っていくさまが語られます。秋の紅葉を眺める時、そこにはさまざまなドラマが見えてきませんか? 何度でも読み返したい小説をたずさえて旅に出るのも、また一興かもしれません。
参考:宮本輝著『錦繍』新潮文庫
【蔵王温泉の紅葉見頃情報】
耳に聞こえる秋「鳴く鹿」は秋の深まり
秋が深まると山や里では紅葉や黄葉が進み、大地が赤や黄色の葉で埋め尽くされていくのを目の当たりにします。ここでちょっと目をつむってみてください。そうすると足元でカサカサっとした葉音や、はらはらと落ちてくる落葉が起こす微かな風を感じませんか? つい目に見える美しさ、色の変化に気を取られてしまいがちですが、秋の深まりは耳からも入ってきていたんですね。
≪奥山に もみぢふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき≫ 猿丸太夫
百人一首でおなじみの秋の歌です。鳴く鹿の悲しい声とはどんな声でしょうか。和歌の文化の中で「鹿が鳴く」には、「牡鹿が雌鹿を求めて鳴く」というイメージが含まれています。
晩秋の静かな山奥に、降り積もった枯葉を踏む足音と、牡鹿が雌鹿を探して鳴く声が響いている情景を詠っています。目に見える枯葉の色彩、耳が捉える枯葉を踏み分ける音と鹿の鳴き声。視覚・聴覚の両方に訴えかけてくる歌になっています。
遠く離れた恋人や妻を恋い慕う心を、鹿の鳴き声の悲しさに重ねているのでしょう。もみじを踏み分けているのは鹿でしょうか、それとも猿丸太夫その人かもしれません。
照り輝く紅葉の美しさ、散りゆく葉の舞いに寂しさをつのらせ、心はさまざまに動きます。紅葉が見頃を迎えればやがて秋はフィナーレへ。移りゆく秋を今すこし楽しんでまいりましょう。
【奈良県の紅葉見頃情報】