太陽の光が透けて見えていた若葉もすっかり青々となりました。「小満」を「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と解説するのは江戸時代に著された『暦便覧』です。すべての物が成長して天地に満ち始める時、それを「小満」と表現しています。草木は精気みなぎる青葉へと茂りゆきます。緑濃い桑の葉を食むのは孵化をとげた蚕たち。畑では麦の穂が実り始めると初夏も終わりへと近づいていきます。「小満」に感ずるのは万物の命の輝きです。
青々と茂る桑の葉が美しい絹を作り出します
大地に満ちる緑は次の生産へとつながります。「小満」の初候は「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」、孵化した蚕が桑の葉を食べる時季なのです。
蚕の語源は「飼(か)い蚕(こ)」。古来人間が飼育し続けてきたために、飛ぶ能力も失われ自力で生きることができなくなった昆虫、蛾の仲間です。桑の葉が茂るこの期間に蚕たちが旺盛な食欲を発揮できるよう、孵化は桑の葉の新芽が出る時期に行う、というくらい蚕は徹底的に管理されています。このような蚕を人々は「お蚕様」と呼んで昔から大切に扱ってきた歴史があるのです。
蚕は昼夜を通して休むことなく桑の葉を食べ続けるため、その間は家族総出で桑の葉摘みに精を出し蚕の世話をするそうです。桑の葉がそれでも足りなくなる時は、桑摘女(くわつみめ)といわれる人たちを雇ったり近隣で融通しあうなど、コミュニティ全体の協力が不可欠だということです。
「桑の葉のいつもぎ果てん我がこころ」 惟然
「毎日の同じ時刻の桑摘女」 高野素十
やがて桑の葉を食べ終えた蚕は、口から糸を吐き出し繭を作り、その中で蛹となります。その後は人間の出番となり、さまざまな工程をへて美しい絹糸が誕生するのです。
五月の風は南風、でもその表情は?
五月に吹く風はどんな風? と聞かれたら、快く明るい風がイメージされるのではないでしょうか。季節ごとに風を表すことばがありますが、初夏となる五月といえばやはり「薫風(くんぷう)」がまず浮かびます。
≪薫風へ笑顔ふたつの肩車≫ 市川夏子
≪風絶えてひそかに風の薫りけり≫ 春面
≪十の椅子丸く並べて風薫る≫ 山崎千枝子
「薫る風」や「風薫る」と読み下すと、音読みにはない風の柔らかさが現れてくるように感じます。
どれも草木の緑をとおして吹いてくる心地よい南風、特に青葉の匂いが感じられる素敵なことばです。「風薫る五月になりました」など日常で使われることが多いのもうなずけます。
もう一つに「青嵐(あおあらし)」があります。緑がみなぎる中に吹き渡る少し強い風。
「嵐」の字の本来の意味は、山にたちこめる青々とした空気、山の中のもやを指しました。これを「青嵐(せいらん)」としていました。
ところが「嵐」の字に荒く吹く風の「あらし」が結びついたことから、訓読みの「青嵐(あおあらし)」として強い風の意味が加わったようです。青葉豊かな枝が風に揺さぶられると今までにない力強い葉音となって響いてきます。ただ強いだけではない溢れる緑を感ずる風が「青嵐(あおあらし)」なのでしょう。
≪青嵐ひとかたまりに羊の子≫ 藤志津子
≪妻といふ翼ひらけば青嵐≫ 大高翔
「青嵐」は緑盛んになっていく7月頃まで万緑を揺るがし吹き渡ります。
「麦秋」初夏に迎える秋もあります
「麦秋」は「ばくしゅう」とも「むぎのあき」ともよみ、初夏の実りである麦の熟する喜びの時を表しています。
『麦秋』といえば、世界でも評価の高い人気映画監督、小津安二郎氏の映画の方が知られているかもしれません。長女の結婚と両親の引退の決意という大きな変化を機に、長く共に暮らしてきた大家族がそれぞれの人生へ踏み出すために別れていく物語です。ラストシーンの麦畑に吹く風が印象的です。夏に向かう豊かな実りにこれまで重ねてきたそれぞれの人生と決断が思われ、吹き渡る風にはこれから始まる新しい生活を前へと促すかのように感じられたのを思い出します。
≪水甕の水のうまさも麦の秋≫ 福永耕二
麦は芒(のぎ)と呼ばれる固く長いひげが特徴です。大麦と小麦がありますが、大麦の方がこの芒がより固く長いのが特徴です。
大麦は麦ごはんとして食べるほかに、麦茶やビールの原料となって夏にはおおいに喉の渇きを癒してくれる存在です。
小麦はご存じの通り製粉されて小麦粉になり、うどんを始めとした麺類やパスタ、パンとなって日々の食卓のメニューにバラエティーを与えてくれています。
≪フランスパン立てて売らるる麦の秋≫ 長谷川久々子
小麦色といえばつやのある健康的に日焼けした肌のたとえです。紫外線が強くなっている現在では、健康のための程よい日光浴を心がけるのが適切なようです。小麦色を楽しむために「麦の秋」を見に行くというのはいかがでしょう。初夏にふさわしいお出かけになりそうです。
参考:
『日本国語大辞典』小学館
『角川俳句大歳時記』角川学芸出版