今年も残り二ヶ月と知ると何やら気ぜわしく感じてしまうのが「十一月」。年の終わりに慌てないように、と今年の締めくくりを考え始める頃合いでもあります。とはいえ本格的な寒さ到来にはまだ間がある今、深まる秋の穏やかな日差しをゆっくりと味わいたいものです。和風名では「霜月」といい初霜のたよりも聞かれる頃になります。早朝に降りた霜が朝日に輝くようすは思わず見とれてしまう美しさ。秋の名残から冬へと移り変わる季節のとっておきを、さあ探しにまいりましょう。
「木枯らし一号」が冬を知らせます
秋から冬へ、移り変わりを見定めるのは難しいですね。朝の寒さがすこしずつ身にしみる頃、散り落ちた葉を舞いあげ冷たい北風が吹きます。思わず肩をすぼめ身を固くした瞬間に「とうとう来たか!」と冬の到来を実感します。「木枯らし一号」です。
〈木々も亦初木枯らしにふためけり〉 相生垣瓜人
初めての木枯らしを受けとめる厳しさを感じるのは、人間だけではないのですよと、俳人の木々を見つめる目のやさしさをみつけました。
十一月は風もなく日差しが豊かに溢れれば穏やかな秋日和となり、身体も心も伸びやかに季節に身をゆだねることができる嬉しい時季です。そんな日に楽しむ散歩は健康的です。せっかくですから、紅や黄色に染まった彩りのよい落ち葉を探してみるのも楽しみのひとつになります。
〈ベルレーヌ詩集に紅葉せる一葉〉 荻原都美子
真っ赤になって散った紅葉は、何かもったいないような気がして捨てておけません。静かな夜を過ごす読書のお伴として、お気に入りの本に挟んで栞にすれば今年の秋の想い出になりそうです。
「山茶花」の花の明るさは元気のもと?
冬の厳しさをストレートに知らせるのが「木枯らし一号」ならば、冬の到来を優しく伝えるのは「山茶花」といえそうです。「山花」は椿の漢名「さんさか」が変化したものといわれています。「さざんか」は漢名の「山茶」に「花」をつけ「山茶花」となっており、昔から「椿」と混同されてきたようです。
椿は冬の終わり頃、白や紅色の五弁の花びらを開かせ春を知らせます。キリッとした中にも清らかな美しさで古くから日本人の心をとらえてきました。散るときに花ごとポトリと落ちてしまう姿には、凜と咲く椿の個性を感じます。いっぽう「山茶花」は花びらがはらりはらり一枚ずつ散るところから、どこか柔らかな雰囲気をもっています。艶やかな葉の緑の中で咲く「山茶花」は生け垣や庭木にもよく見かけます。
〈山茶花のここを書斎と定めたり〉正岡子規
〈乱雑に山茶花散るよ泣く子にも〉金子兜太
どちらも「山茶花」に親しみをもった笑顔が見えてきませんか。人々の生活を明るく照らしている「山茶花」の生き生きと美しい姿をみていると、少しくらい寒くても元気が出てきそうです。
十一月のビタミンは青空に輝くオレンジ色
春を思わせるあたたかい気候を「小春」といいます。「立冬」をすぎても厳しい寒さにはまだ時間がありそうです。穏やかな晴れた空は「小春空」、吹く風は優しい「小春風」。温かい日差しに恵まれた日は「小春日」または「小春日和」と、どのことばをとっても優しくぬくもりにあふれています。
〈小春日の猫の欠伸につられたる〉渡部れい子
〈玉の如き小春日和を授かりし〉松本たかし
温かな日差しにふうわりと膨らんでくる、たゆたうようなひとときが切り取られています。
のどかな小春日の空に似合うのはなんといっても「柿」。まだ緑濃い葉の茂る中で、オレンジ色の柿がたわわに成っている姿は空の青に映えて輝き、豊かな秋を堂々と謳うかのようにみえませんか。
〈山柿や五六顆おもき枝の先〉飯田蛇笏
〈朝の柿潮のごとく朱が満ち来〉加藤楸邨
「立冬」に始まる十一月は冬とはいえまだ間があります。陽だまりのような日々を過ごせるチャンスにも恵まれることでしょう。すこしずつ寒さがしのびより「小春日」と陣取りをしながらやがて秋は静かに去っていきます。紅葉や黄葉がはらはらと舞い始めると、残っていた晩秋の装いは解かれいよいよ冬が告げられます。自然界の変化が思いのほか大きいのが十一月、残された秋の日々をゆっくり味わっておかないと、損をしてしまうかもしれませんよ。