三月の声を聞くと気持ちは一気に春へと向かっていきます。身のまわりで咲き始める花の色は春の明るさをどんどん引き出していきます。特に鮮やかな黄色は淡く萌えだす緑にさきがけるようなインパクトを持っています。
もうひとつ、ゆるみ始めた大気の中に漂い始める香りも春の兆しを伝えてくれる大切な要素。春爛漫といわれるまで、まだ間のある今頃は、春への移ろいがあちらこちらで起きています。春を持ってきてくれるのは何かしら? 身近なところを見まわして探してみると、そろそろ咲き始めている花に目がいきますね。
菜の花:小さな花ですが開くとなんとも華やかです
「菜の花」が咲くとそれだけで春を感じることができます。ひとつの花は小さくとも薹(とう)を立て、密集して咲く黄色の花はたいへん鮮やかに輝きます。その情景は大正時代から歌われている唱歌『おぼろ月夜』にみごとに描かれています。
「菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて 匂い淡し」
一面に広がる「菜の花」は、もともとは農家の方が休ませている畑に植えていたということです。春の味として食卓を彩り、また種を絞れば油もとれることから菜種ともよばれています。菜種油は食用のみならず灯りとしても活用されました。人々が春をたっぷり味わった後「菜の花」は、次の作物へ土を豊かにする肥料となっていくそうです。風にゆれながら静かに咲いているようでいて、なかなか高いパフォーマンスを誇る花だということがわかります。
春に陽気な明るさをもたらすからでしょうか、「菜の花曇」はこの頃の曇り空を表しますが、ふつうの曇りよりもちょっとウキウキした気分を感じます。
「菜の花の黄が曇天を押し返す」 望月末夫
菜の花にはこんな明るい力強さもあるのですね。菜の花畑が持つ黄色の量と熱は早春独特のもの。この時を逃さず、今年の「菜の花」の輝きをしっかりと目に焼きつけておきましょう。
沈丁花:春を感ずる甘やかな匂いの主です
花の存在に匂いから気づくことが多いのが「沈丁花」ではないでしょうか。それは花の名前に表れています。「沈香」と「丁字」の香りをあわせ持つ、とされたところから、日本では「沈丁花」と名づけられたそうです(諸説あり)。
「沈香」は香木として知られ、特にその上質なものは「伽羅(きゃら)」として珍重されています。正倉院の御物として今に伝えられている「蘭奢待(らんじゃたい)」は正に伽羅の名品であり、歴史を大きく動かすほどの力を持つ香木です。
「丁子」は花のつぼみを乾燥させたもので、形が釘のようなところから「丁」の字があてられた、といわれています。古くから香料として使われていました。スパイスのクローブといった方が馴染みがあるかもしれません。
香りを二つも重ねてしまうくらい素晴らしい香り、と人々が感じていた「沈丁花」の花は、開くと小さな白い手鞠のよう。薄い赤紫色を奥に秘めた花には愛らしさも感じられます。姿はどれも可憐。街のあちこちに植えられ人々に香りを漂わせ春を伝えています。
たんぽぽ:どこにでもあるけれど、咲けばみんなが嬉しくなる
季節の花として、華やかなスポットライトを浴びる機会はあまりありませんが、道端でも原っぱでもどこでも見かけるのが「たんぽぽ」です。つぼみの形が「鼓」に似ているところから、また花が咲いたさまが「鼓の面」に似ているところから「鼓草(つづみぐさ)」の別名をもっています。また、鼓を打つときの音を「たん」「ぽぽ」と真似たことが「たんぽぽ」の由来ともいわれているそうです。
春になって「たんぽぽ」が咲いているのを見つけると、思わず近寄り、屈みこんでみたくなりませんか。小さな花ですが人を惹きつける魅力を持っています。地下に根を伸ばし、大地を這うように葉を広げすっくと立って咲く姿に、決して負けない強さを感じるからかもしれません。
「たんぽぽや芝生をしめる花の鋲」 素丸
「蒲公英(たんぽぽ)を金網囲ひ自衛隊」 右城暮石
「たんぽぽ地に張りつき咲けり飛行音」 西東三鬼
小さな「たんぽぽ」が持つ大きく力強い存在感が、どの句からも説得力をもって私たちに迫ってきます。これぞ「たんぽぽ」の魅力、と云わんとするような潔さも感じます。
春を伝える花にはそれぞれ独特の魅力があります。きらきらと光輝く「菜の花」や、甘い匂いを放つ「沈丁花」、そして大地の力や新しい季節のエネルギーを伝えるような「たんぽぽ」。他にもたくさんの花や虫、小さな動物たちが春の進展を見せてくれています。手袋やマフラーをひとつひとつ外しながら、身と心を軽くして共に春の息吹を楽しんでまいりましょう。
参考:
『ブリタニカ国際大百科事典』
『日本国語大辞典』小学館
『角川俳句大歳時記』角川学芸出版