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アルベール・カミュ「不条理小説」は未来を予見していた?


11月7日、立冬を迎えました。暦上この日から冬となり、一か月半後の冬至に向けて、昼間の時間はどんどん短くなっていきます。今から108年前の1913年のこの日、小説家で劇作家のアルベール・カミュ(Albert Camus)が、フランス領アルジェリア(今のアルジェリア)で生を受けました。近年、代表作『ペスト』がウイルス禍に苦しむ今の世界の予言の書として脚光を浴びることになり、その名を知った方も多いのではないでしょうか。

地中海の輝く海と太陽を背景に、現代物質文明の「宿命」を抉り出したカミュ

地中海の輝く海と太陽を背景に、現代物質文明の「宿命」を抉り出したカミュ


ナチス占領下のフランスでデビューした天才作家カミュ、その非業の死

アルベール・カミュは、地中海沿岸の北アフリカ・アルジェのモンドヴァに生まれました。父はドイツにほど近いフランス北東のアルザス地方からの移民で葡萄農場労働者でしたが、カミュが生まれて間もない1914年の第一次世界大戦の戦闘で亡くなり、スペイン出身で耳の不自由な母の実家に身を寄せ、アルジェ市で貧しい子供時代を過ごしました。
祖父母と母、兄との五人家族が狭い二部屋に暮らす生活で、「美味しかったのは地中海の太陽のみ」と後に述懐しています。
貧しい生活の中で奨学金を得て、リセ(日本での高等学校)に進学、生涯の師となったエッセイスト、ジャン・グルニエと出会い、文学への目が開かれます。
アルバイトをしながらアルジェ大学文学部哲学科に進学、劇団活動に熱中するとともに、恩師グルニエの紹介で共産党の活動にも参加します。
さまざまな職を経た後にアルジェの地方紙新聞記者となり、1940年にはパリの夕刊紙「パリ・ソワール」の記者となりました。
しかし同年、ナチスドイツによるフランス侵入、パリ占領によってきびすを返すように北アフリカに戻らざるを得なくなっています。兵役に志願するものの結核に侵されていたために不合格、激化する第二次世界大戦の中で、『幸福な死』などの初期の未発表の習作(1971年に本人の死後出版)やエッセイとともに、処女小説『異邦人』(L'Étranger)、哲学エッセイ『シーシュポスの神話』(Le Mythe de Sisyphe)の執筆に着手、両書は戦火の只中のパリのガリマール書店から発行されました。
『異邦人』は、「独軍占領以来最良の書」と、当時のフランス、ヨーロッパの知識層/言論界の旗頭であったJ.P.サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre 1905~1980年)らによって激賞され、瞬く間に文学界の寵児となりました。
終戦間近のパリ解放(ナチス軍の撤退)から言論誌「闘争」の主宰となり、『カリギュラ』『誤解』といった戯曲の傑作を発表、フランス文学界、言論界の中心人物となります。
そして、アルジェリアのオラン市にペストが大流行し、都市封鎖が敢行されるという設定の下、ペスト制圧に献身的に尽力するリウー医師を中心に、伝染病に立ち向かう人々の姿を克明に描き出した大作『ペスト』(La Peste)を1947年に発表するに至って、その名声は世界にとどろくことになりました。
1957年には、43歳の若さでノーベル文学賞を受賞しています。まさに順風満帆でしたが、『最初の人間』執筆最中の1960年、自動車事故で不慮の死を遂げてしまいます。この死に関しては、ソ連のハンガリー動乱に対して批判をくりひろげたカミュを、KGB(ソビエト連邦秘密警察)が暗殺粛清したものだとの説もありますが、未だ真相はわかっていません。
※写真クレジット
By Ehnemark, Jan - http://www.stockholmskallan.se/index.php?sokning=1&action=visaPost&mediaId=19753
Public Domain::https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12262112

ノーベル文学賞受賞時のカミュ。華々しい活躍とともに論争もまきおこしました

ノーベル文学賞受賞時のカミュ。華々しい活躍とともに論争もまきおこしました


「不条理」が浮き彫りにする新たな「個」の意識・時代の幕開け

ヨーロッパは、合理的で科学的な精神と、世界を構成・統合しているシステムがあることを「信じて」考察や観察を続けてきた文化です。つまり、西洋科学とは、高次の世界へと至る目標と、そこに至るために今ある世界を腑分けし分類して意味づけする作業であり、西洋の思想は神と結びついた類(カテゴリー化)の思想だったと言えます。
ドイツ観念論の到達点にして、カール・マルクス(Karl Marx 1818~1883年)の『資本論』への橋渡しをしたヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831年)の『精神現象学』における弁証法論理学では、世界や現象には「テーゼ(命題)」と「アンチテーゼ(反命題)」があり、その矛盾は、相互作用によってやがて止揚されて新たなる「ジンテーゼ(合)」として統合され、世界はより完全な状態へと上昇していく、としました。
マルクスはヘーゲル哲学を発展させ、現在の不完全で不平等で不公平な資本主義社会は、やがて共産主義思想により止揚されて完全な理想郷、共同体が出来上がる過程であるとしました。
簡単に言ってしまえば、現に今ある不条理な社会や世界は、やがて訪れる矛盾のない完全な世界への移行過程であり、今たとえ理解出来なくてもそのプロセスに意味があるのだ、とするものです。
しかし、カミュはこれらを真っ向から否定します。来るべき神の国も、来るべき理想郷も待ち受けていない無慈悲な世界/宇宙に人はそこに裸で投げ出されている。そしてその不条理を受け入れがたいものとして絶え間なく受け止めながら拒絶(=反抗)し続ける、それが人間のあるべき姿だとしたのです。
この考え方は、19世紀末のF・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 1844~1900年)の「神は死んだ」という言葉や、ドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский 1821~1881年)の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物・イワンが、「自分は将来神の国がやって来るとしても、その神の国の実現のために、多くの無辜な子供たちの流した涙や虐殺が必要だったとするのなら、そんな神の国への入場は断固拒否する」と言い放った台詞と共通します。カミュは彼らの著作を精読していましたから、それを思想としてブラッシュアップしたものと言えます。
きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。
という、あまりに有名な冒頭の一節で始まる『異邦人』は、養老院にいる母が死んでも、ただ海と太陽と女との情事などの肉体感覚にふける主人公ムルソーが喧嘩に巻き込まれて人殺しをしてしまい、その罪で裁判にかけられて動機を問われるものの、「太陽がまぶしかったから」という返答しかせず、死刑になっていく物語。裁判官や神父、弁護士や検事や証人は彼に、彼の行動の整合性や因果律を問いただしますが、彼は何一つそれについて答えません。合理性を拒絶した「不条理」を体現した人物として描かれるのです。そしてそれ以上に、読者に印象づけられるのは、ムルソーの抱えている「孤独」です。
この奇妙で不遇な人物像は、むしろ現代の私たちには理解出来なくはないし、魅力的な、しかしもはやよくある人物造形にも見えます。たとえばジェームス・ディーンが演じたナイーブで屈折した不良少年像や、あるいは無軌道で破滅的なロックスターの典型のようにです。
つまり、第二次世界大戦を終えた後にやってくる、大量消費に支えられた大都市物質文明に生きる若者たちが抱えることになった、もやもやとした社会への反発ややるせない気分と言ったものを、カミュは予見し、先取りして表現したのだと言えます。だからこそ、カミュは当時の多くの若者たちに「俺たちの思いを表現してくれた」とばかりにカリスマとして崇拝されるようになったのでした。

「ペスト」の舞台オラン市。実際にはこの都市でペストが大流行したことはありません

「ペスト」の舞台オラン市。実際にはこの都市でペストが大流行したことはありません


ウイルス禍を予見した?名作『ペスト』が告げる人類の未来とは

大都市文明の若者の感覚を鋭く描いたカミュが、次にその大都市文明がさいなまれることになる自然からの報復、つまり細菌によるパンデミックを描いて見せたというのは、まさに必然というほかありません。
ペストが流行し、「ロックダウン」されたオラン市。猛威を振るうペストに対し、孤軍奮闘する医師・リウー。金持ちたちの卑しいエゴイズム、ペストを神の懲罰だとふれまわる狂信的な神父、閉鎖された街を都合のいい隠れ場所と住み着く犯罪逃亡者、自分や仲間だけ町から脱出しようとする新聞記者、よそ者でありながらリウーの働きに心を動かされ、看護隊としてペストに立ち向かうことになる異邦人など、さまざまな人間模様が描かれ、孤独な個々人が「不条理(ペスト)」に対峙する中で次第に連帯していくさまが描かれます。
リウーの奮闘にも関わらず、仲間は次々と倒れていきます。絶望の中であがくリウー、そして人類はぺストに打ち勝てたのでしょうか。パンデミックは意外な成り行きで終息に向かいます。そしてリウーは述懐します。
市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦がつねに脅かされていることを思い出していた。 (中略) ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古(ほご)のなかに、しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。(『ペスト』)
人がひしめき、体裁と同調圧を押し付ける消費都市文明での個の抱える袋小路を描いたのが『異邦人』なら、その消費と浪費の行きつく果ての爛熟の中で突然襲ってくる災禍を描いたのが『ペスト』と言えます。
カミュ自身の理想像として位置づけられるリウー医師がペストとの闘いの中で仲間を得、連帯を得たのは、彼が個として不条理な現状に向き合い、戦うことに専心したからです。
個であることから逃げ、類(集団)に逃げ込んだ人の活動は、それがどれほど美しい目的を描いた計画であっても、早晩その目的達成のために、構成員を抑圧し、排除して、全体主義に陥るであろうということをカミュは予見していました。個(孤)であること、個のまま世界と対峙することによってのみ、世界は幸福と調和に向かって漸進し得ると考えていました。
私たちもまた、この二年にも渡るコロナ禍の中で、多くのリウー医師がいることを知りました。ふたたびカミュを読み解く時代がやってきたのかもしれません。
※写真クレジット
By Zanchi, Antonio - Mauritshuis, The Hague,Public Domain

神に「反抗」したシーシュポスの伝説をもとに、知識人のあるべき姿勢を説いたカミュ

神に「反抗」したシーシュポスの伝説をもとに、知識人のあるべき姿勢を説いたカミュ

※写真クレジット
By Frachet - Own work, CC BY-SA 3.0,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9177175

参考・参照
異邦人 A・カミュ 新潮社
ペスト A・カミュ 新潮社
シーシュポスの神話 A・カミュ 新潮社
革命か反抗か A・カミュ J.P.サルトル 新潮社

フランス文学黄金期の中で燦然と輝いたカミュは、至って真面目な人物でした

フランス文学黄金期の中で燦然と輝いたカミュは、至って真面目な人物でした

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