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11月20日「えびす講」を知っていますか?謎の神「エビス」の正体は?


11月20日は、主に東日本の各地でエビス神に捧げものをして商売繁盛を願う「えびす講」が行われます。「エビス」というと、七福神の一柱として、片手に釣竿、脇に鯛を抱え、烏帽子に狩衣、ドジョウひげを蓄えた恰幅のよい神様の姿は、誰もが思い浮かべることが出来るのではないでしょうか。あるいはビールのブランド名や、その由来の山手線の駅名を思い浮かべる人も多いかもしれません。日本の在来神の中でもメジャー感抜群の反面、その名の起源すら不明の不可思議な神様でもあります。「エビス」の謎めいた笑顔の正体に迫ってみましょう。

神楽で演じられるエビス神

神楽で演じられるエビス神


ぽっちゃり系の大物神・えびす様。その信仰の歴史とは

恵比寿、蝦夷、戎、夷、蛭子など、さまざまな字が当てられ、異名として夷三郎殿(えびすさぶろうどの)とも呼ばれるエビス神。釣り人風の姿からわかるとおり、漁業・漁民の守り神として信仰され、やがて魚市場などでの商いを通じて、商売繁盛、富貴福徳のご利益のある神となり、祀る神社は全国に約3.500社を数えます。けれどもエビス信仰は複雑で、山幸彦こと彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと)、事代主(ことしろぬし)など、さまざまな神が習合されています。

その総本社とされるのが、兵庫県西宮市に鎮座する西宮神社。「西宮のえべっさん」と愛称され、年明け間もない1月10日、十日えびす大祭の当日の早朝、表大門の開門と同時に待ち受けていた参拝者たちが境内を必死に疾走して先着3人に「福男」の称号を授かる行事は毎年メディアに取り上げられ、話題になりますよね。

えびす様への近畿地方の信仰の熱意を如実に実感させてくれるものです。20日に行われる二十日えびすが東日本中心に分布するのに対し、前述の西宮神社を代表として、西日本各地では十日戎(えびす)が盛んです。

多くのえびす神社で主祭神として祀られているのが、蛭子命(ひるこのみこと)です。日本書紀、古事記で叙述される国生み神話で、イザナギ・イザナミが生んだ最初の御子神とも、日の神・大日孁貴(おほひるめのむち)、月の神・月弓尊の次に生まれたともされる神です。「ひるこ」という名を「日(太陽の子)の子」と解釈する説も多く、先史時代の日本列島先住民たちが信仰していた太陽神の痕跡とも考証されています。

平安時代後期ごろから、エビス神は民間信仰の神として文献にも記載が見られるようになります。南北朝時代の『神皇正統記』(北畠親房 1343年)では、

蛭児とは西宮の大明神、夷三郎殿是なり。此御神は海を領し給ふ。

とあり、『平家物語』の異本である『源平盛衰記』でも、

蛭子は三年迄足立たぬ尊とておはしければ、天の磐櫲樟船に乗せ奉り、大海が原に推し出して流され給ひしが、摂津の国に流れ寄りて、海を領する神となりて、夷三郎殿と顕れ給うて、西の宮におはします。

と叙述され、海に流されたヒルコ神がいつの頃か摂津(大阪府北西部~兵庫県南東部)に漂着して、夷三郎=エビス神として西宮神社に鎮座した、としていて、エビス総本社西宮神社の縁起譚ともなっています。

例年、長野えびす講では壮大な花火が打ちあがります(今年は延期)

例年、長野えびす講では壮大な花火が打ちあがります(今年は延期)


「えびす」という名のミステリー。その名の由来は何?

エビス神に関する民俗的研究や分類は、相当進んでいるのですが、それでも「えびす」という名については、未だにこれという決定的な語源説はなく、不明のままになっています。ヒルコ神や事代主が変容したというのなら、なぜ「ひるこ」「ことしろ」という神名が「えびす」に変わったのか、その経緯もさっぱり不明です。もちろん、東の蛮族を意味する「えみし」という言葉が関係していることは間違いがないのですが、その「えみし」自体の由来も明らかではないのです。

エビスという音からは、私たちはまず自然に、海の甲殻類である「海老」を連想します。ですので、海老と海洋神エビスが語源的に無関係とは思えません。

では「えび」の語源はというと、有力なのはその体色(外殻の色)が葡萄(えび)色だから、というものです。日本在来で自生するヤマブドウ(山葡萄 Vitis coignetiae)を古くは「えびかずら」「えびづる」と呼び、その実に似た、渋みがかった赤紫を「葡萄(えび)色」と称したのです。

では、なぜヤマブドウは「えびかずら」と呼ばれたのでしょう。これについては、何ら説明はなく、ここで語源探索は行き詰まりになります。しかしここで終わらないのが当コラムのしつこさです。

三本柱の鳥居は何かを語る…対馬・磯良恵比寿の磐座

三本柱の鳥居は何かを語る…対馬・磯良恵比寿の磐座


キーワードは「えび色」。赤紫の布を携えた宝船が海の彼方からやって来た?

話変わって日本列島の西端、大陸に近い海に浮かぶ長崎県対馬は、古くより海洋民が漁労を営み暮らしてきた地域です。

島内には壮麗な和多津美(わたつみ)神社や海神神社が鎮座します。そして海辺にある亀の甲羅のような模様の浮き出た泥岩を「磯良恵比寿(いそらえびす)」と称し、祭事をおこない信仰してきました。この磯良恵比寿こそ、エビス信仰の原型ではないか、との説があります。

磯良とは海洋民の一族とされる安曇(あずみ)氏の祖神・安曇磯良で、神功皇后の三韓出兵の際に海流・干満を操る珠を献上して、侵攻を助けたとも伝えられる海神です。

また、入江に建つ和多津美神社の社殿前のじくじくとした浜辺には、足が三本で三角形をなす「磯良恵比寿の磐座」と称する不思議な鳥居があります。この異形の三柱鳥居は、京都の太秦、渡来民・秦氏の本拠地の蚕(絹織物)の社こと木ノ嶋神社にも存在します。秦氏は聖徳太子の側近としてキリスト教やユダヤの神話を日本に伝えたともいわれる渡来系氏族。なにやら、はるかシルクロードの彼方の中東、パレスチナ、イスラエルの気配を感じます。

遠い昔、紀元前1300~1200年ごろの時代、モーセに率いられたイスラエルの民は、エジプトを脱出してパレスチナの地にたどりつきます。この当時、西から地中海の東海岸域に、複数の「海の民」と呼ばれる集団も渡来し、パレスチナ地域に勢力を広げ始めていました。ペリシテ人、それとは系統が異なるノアの子ハムを始祖とする「カナンの11氏族」と呼ばれた人々です。イスラエルの民はペリシテ人と激しい戦いを繰り広げ、ペリシテ人を駆逐します。

一方、カナン人はイスラエルに恭順し、同化しながらユダヤ文明をともに築いていきました。海洋民であるカナン人の多くは地中海で交易網を広げ、各地に港湾都市を築いていました。ギリシャ人は彼らをフェニキア人(ポイニケーとも Φοινίκη Phoiníkē)と呼びました。イスラエル王ソロモンは商才と多彩なインフラ技能に長けたカナン-フェニキア人とともに、地中海のみならず紅海まで広く海岸一帯に勢力を広げ富を築きました。フェニキアには紀元前600年ごろ既に、船でアフリカ大陸を一周するほどの航海術があったのです。

イスラエル王国の聖都エルサレム地方に先住していたカナン人。これを「エブス人」といいました。「エブス(Ebus)」という名はフェニキアの海洋民にとって特別な名で、我々日本人が自国を「ヤマト」と自称するのにも比況できます。

ヨーロッパの西の果ての港湾や島にもフェニキアの船団は町を築きましたが、エブスの名は、スペインのイビサ島 (Ibiza)にもその名残が見られます(カタルーニャ語ではエイビッサ=Eivissa)。彼らがはるか東へと舵を向けたとしてもおかしくありません。

そう、「エブス人」は日本列島にたどり着き、先進の文化を伝えるまれびと神となったとも考えられます。

「エブス」こそ、「エビス」の語源ではないでしょうか?

彼らは「ツロの紫」と称される、巻き貝の鰓下腺から抽出する分泌液を用いて緋色、赤紫、青紫に染める染色技術を伝承し、ローマ帝国ではこれを「フェニキアの紫」として格別珍重したのです。エブス-エビスの伝えた色だからこそ、日本ではこれを「えび色」と称したのではないでしょうか。中国ですら存在しなかった貝紫の染色技術が、日本では弥生時代の吉野ヶ里遺跡から見つかっているのです。

日本列島へのイスラエル文明人の渡来、いわゆる「日ユ同祖論」は、トンデモ歴史学の類に分類されがちで、すべてを鵜呑みにはできませんが、少なくとも謎とされる「えび色」「エビ」の名の起源も、「エビス」という神様の由来や由縁も、筆者的には、きれいに説明がつくような気がしてなりません。



参考・参照

えびす信仰事典 吉井良隆 編  戎光祥出版

神道の本 学研

源平盛衰記

えびす宮総本社 西宮神社

ヤマブドウ。かつてはこの実の色を「葡萄(えび)色」と呼びました

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大黒様とのおなじみのペアリング。大国主・事代主の父倅コンビでもあります

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