秋の大気の変化を二十四節気は露でみています。秋の半ば「白露」では白く光っていましたが、晩秋になると寒々と結ぶようになります。秋の極まる「霜降」では「露が陰気にむすばれて、霜となりて降る故なり」と『暦便覧』に記されるように、霜となって大地に降りてきます。この頃になると昼の時間が短くなったなぁと感じるのではないでしょうか。暦の上で冬は間近です。本格的な寒さはまだ先ですが秋の終わりの情景を歳時記を通して眺めてみませんか。
初候は「霜始降(しもはじめてふる)」霜は晩秋の一大イベント!
虫の声も聞こえなくなり、静かな秋の到来です。大気中の水蒸気が昇華により結晶して大地や草木を白くおおうのが霜。朝起きたら外が真っ白に変わっている景色に季節の変化をはっきりと感じることができます。
長い年月を表すのに「幾星霜」や「霜露」と霜が使われているのは知られています。最近は染めて黒髪をたもつ人が多くなりましたが、「霜を戴く」といえば白髪になり年を重ねることです。目の前に霜が降りるのを見ることで、1年という時の流れをまさに実感してきたのだということがわかります。
霜はまた大きな被害をもたらす一大事ともなります。農家にとって急な霜はせっかく育てた作物が凍結してしまい出荷ができなくなる怖れがあるからです。霜の対策をとる上でも常に意識していなければいけないのがその降り始めということです。
晩秋に降りる霜は季節が変わっていくことを知らせる大きな意味をもっていたのですね。
次候は「霎時施(こさめときどきふる)」秋の雨はどんな雨?
秋の雨は多くの表現を持っていることに驚かされます。思いつくだけ挙げても「秋雨」「秋時雨」「秋霖」「霧時雨」「秋の村雨」などがあります。さて、それぞれどんな雨なのでしょうか? いくつかを俳句の助けを借りて読み解きたいと思います。
「秋雨やほかほか出来し御仏飯(おぶっぱん)」 高野素十
炊きたての湯気のあがったお供えのご飯のあたたかさが、冷ややかな雨が降っている秋の朝に静かなぬくもりを与えていますね。
「大原女の花を濡らせる秋時雨」 岡田満津子
晴れていたかと思うとにわかに降り出しすぐ止むのが時雨。秋の終わりに降るのが「秋時雨」です。晩秋の侘しさや寂しさを感じさせる雨ですが大原女が運んできた花を、さっと降る雨が生き生きとさせるような気がしませんか。
「杣の負うものの雫や霧時雨」 石橋忍月
ここでは時雨のように降るのは雨にならない霧です。秋の大気の変化は微妙なのですね。杣(そま)は杣人のこと、山に入り木を切り出すきこりです。きこりが背負っている切ったばかりの木がすこしずつ水を含み、雫となっているさまに「霧時雨」のふんわりとしたようすが感じられます。
俳句に描かれた情景を思い浮かべると、秋の雨の微妙な違いを感じることができたのではないでしょうか。今日降る雨もどんな雨なのか、あれこれ考えてみるのも楽しいですね。
参考:
倉島厚、原田稔編著『雨のことば辞典』講談社学術文庫
末候は「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」いよいよ紅葉の季節です
秋の美しさといえば誰もが楽しみにするのが紅葉です。紅葉のために私たちは日々下がっていく気温、寒さを受け入れていかなければなりません。桜の開花が暖かくなった地域を進んでくるように、紅葉は気温が低くなる地域から始まります。
二十四節気「霜降」は「霜始降」から始まりました。霜が降りる程の気温にならないと紅葉が始まりません。そして深まる季節の変化をよく観察してみてください。「楓蔦黄」が末候にふさわしいでしょう、と歳時記にはいつも教えられます。
「もみじ」はもともとは「もみづ」という動詞で「木の葉が秋の末になり紅や黄に変わる」ことを表しました。「もみづる色」といえば、紅や黄に変化した色ということになります。
特に楓は色の変化に注目され、緑を残した「薄紅葉」、濃い薄いが交じりあった「斑紅葉」、美しく照り輝く「照(てり)紅葉」と段階を追って色が変わっていくようすを愛で楽しまれてきました。いつの間にか、この楓の木の美しい紅葉が「もみじ」と言われるようになったのでしょう。
黄色く色づく銀杏や萩も美しいですね。こちらは葉が黄色くなり落ちていきますからその美しさを「黄落(こうらく)」と表します。銀杏並木の華やかな黄色、やがて葉が舞い落ちて敷き詰められた道も黄金色に染まり多くの人を楽しませてくれます。
街や里山、自然が美しい紅葉で装うようになれば、寒さもまた楽しみとなりますね。今年は気温の変化に注目しながら身近な木々の色づきを楽しんでみませんか。