夏らしいジメジメした暑さを感じる日が多くなりましたが、そろそろ夏休みの行楽計画を考えている人も多いのではないでしょうか? とくにお子さんがいる家族は、自由研究のテーマになるような場所に行くと、夏休みの課題がひとつクリアできますね!
そんな夏のレジャーにおすすめの場所が「お城」です。日本の歴史が学べることはもちろん、荘厳で芸術的な建築物を目にすると、そのインパクトはかなりのものですし、生涯忘れられない思い出になることうけあいですね。
実はお城といっても「白い城」と「黒い城」に大きく分けることができるのですが、その色の違いとは?
「白い城」と「黒い城」の違いの秘密とは?
お城の壁をよく見てみると、白い壁が印象的な城と、黒い壁が印象的な城の違いがわかります。
実はこれ、単なる好みではなく、白・黒どちらの色かによって、どの時代に築城されたかがおおよそわかるのです。
「白い城」と「黒い城」の築城時代の目安
●「黒い城」 → 豊臣秀吉の時代(関ヶ原の戦い以前)に築城されたものが多い
●「白い城」→ 徳川家康の時代(関ヶ原の戦い以降)に築城されたものが多い
「黒い城」「白い城」の代表的例
●「黒い城」 → 松本城、熊本城、岡山城 など
●「白い城」 → 姫路城、名古屋城、彦根城 など
秀吉が黒い城を好んだ理由とは?
太閤秀吉の時代に「黒い城」が好んで築城された主な理由は「敵の目から隠れやすい戦国時代ならではの利点」による、といわれています。
例えば、戦国時代末期(1504年)に建てられた「松本城」は、別名「烏城(からすじょう)」ともいわれる「黒い城」の代表格。
城主は秀吉の臣従・石川数正ですが、いつ敵の襲来があるかもわからない戦国下、鉄砲戦を行うのに有利な漆黒の色使いであったことも、「黒い城」が好まれた理由とされています。
そのほかにも諸説ありますが、ある説によると「金(ゴールド)を好んだ秀吉の趣味によって、きらびやかな金色がより映えるよう黒色が用いられた」というエピソードも残っています。
なぜ「黒い城」になったかという理由をひもといていくと、黄金色に輝く聚楽第の茶室をつくり、その茶室に映える派手な衣装を身にまとった派手好きで煌びやかな秀吉像が連想できますね。
徳川時代をアピールした「白い城」
秀吉の時代が「黒い城」中心だったのに対し、徳川家康が世の中をおさめる時代になると「白い城」が多く見られように変化していきます。
「白い城」は、単に白色(はくしょく)の色の特長から優美さを演出できる利点がありますが、加えて、膨張色である白が城そのものを大きく見せる効果があったからともいわれています。
そのほかにも、関ヶ原の合戦で勝利をおさめた家康が、徳川時代の到来を世にアピールする狙いをこめて、「黒」の対称色である「白」を選択したのではないか、という説もあります。
中でも、「白い城」の代表格として知られるのが「姫路城」でしょう。
ご存じ通り「姫路城」は別名「白鷺城」と呼ばれますが、実はもともと姫路城は秀吉系の城でした。
のちに徳川家康の娘婿である池田輝政によって整備された際に新しい建築技術を取り入れ、白い壁が用いられたそうです。
改修前と比較してより磨きがかかった「白さ」
江戸初期を代表する建築物としても名高く、「白い城」の代名詞にもなっている姫路城は、朝焼けを浴びる神々しい姿や、太陽がのぼった日中に見せる晴れやかで優美な姿、夕焼けに染まる艶やかな姿……など、時間ごとに異なる姿を見せる表情豊かな名城として知られますが、2015年に延べ1万5000人の職人の手によって平成の大修理を終えたばかり。
お披露目の際には、「白い城」に映える航空自衛隊のブルーインパルスが青空に桜を描く祝賀飛行を披露しましたが、最も注目すべき点は、改修前と比較してより磨きがかかった「白さ」にあります。
その理由は、改修時に屋根瓦の継ぎ目に盛り上がるほど塗った「屋根目地漆喰」によるものとされています。そうして点からも、日本の「白い城」の中でも圧倒的な透明感と美しさを誇る姫路城は、「白い城」「黒い城」を見比べる際に、まずはおさえておきたい名城といえますね。
── 行楽シーズンの観光地選びとしてはもちろん、お子さんの夏休みの研究テーマとしても最適な「黒い城」「白い城」を比較・堪能する旅。今夏は、歴史とロマンあふれる城めぐりに出かけてみませんか!