〈云ふまいと思へど今日の暑さかな〉。暑い、暑いって言葉にすると、気分的にもっと暑く感じるから、もう暑いって言わないで……。そんな会話があちこちで交わされる今日この頃。冒頭にあげた古川柳のように、ふうふう、ぜいぜい息が荒くなるような暑さが続いています。
現代ではクーラーの効いたビルや室内に飛び込めば、とりあえずほっとできますが、昔はそんなこともできませんから、夏の暑さはいっそうきびしかったことでしょう。でも、暑さをまぎらす工夫は昔も今もいっしょです。気分によりそう言葉を見つけたら、少しは涼しい心持ちになるかもしれません。
夏の一日を俳句で味わう
気分的にはまだ真夏ですが、暦の上では秋が始まりつつあるこの時季。朝は空気はいくぶん涼やかですが、昼ごろから空は容赦ない炎天と化します。
二十四節気のひとつに「大暑」という言葉もあり、「炎天」「炎昼(えんちゅう)」という季語もあります。風がないときには「油照り」という言葉も使われます。木立が恋しくなります。
〈じだらくに勤めていたる大暑かな〉石田波郷
〈みじろぎもせず炎昼の深ねむり〉野見山朱鳥
〈父のごとまた母のごと大夏木〉富安風生
ただ、午後3時頃になってくると、日がやや傾いていろんなところに影ができ始めます。これを「片蔭(かたかげ)」といいます。書肆(しょし)街は本屋街のこと。
〈子をつつむ片陰われに足らねども〉林翔
〈書肆街の片蔭つたふ我が家路〉西島麦南
〈片陰を拾ひてビルに吸はれたる〉稲畑汀子
夏の花といえばやはりひまわりですね。誇らしげに咲く姿は夏のシンボルです。
〈海の音ひまはり黒き瞳(め)を開く〉木下夕爾
〈向日葵の大声で立つ枯れて尚〉秋元不死男
最近は特に都市で被害をもたらすような降り方をする夕立もありますが、やはり夕立はほっとするもの。一茶の句は小津安二郎の映画「浮草」の名場面を思い出させます。夕立の時にはしばしば雷が鳴ります。昇降機はエレベーターのこと。三鬼の句は都市的な雷ですね。
〈夕立やかみつくやうな鬼瓦〉小林一茶
〈昇降機しづかに雷(らい)の夜を登る〉西東三鬼
夏の夜は短い。俳句ではそれを「短夜(みじかよ)」と表現します。
〈短夜の明けゆく水の匂かな〉久保田万太郎
〈短夜の壺の白百合咲き競ひ〉三橋鷹女
夏の野菜と花火のポエジー
夏の野菜といえば、ナス、トマト、きゅうり。夏の野菜に感じるポエジーもあります。トマトは、がぶりと噛みつくのが醍醐味。大高翔の句はその肉感的な感じをよく捉えています。
〈青き胡瓜(きゅうり)ひとり噛みたり酔さめて〉加藤楸邨
〈くちづけのあとの真っ赤なトマト切る〉大高翔
そしてこの季節、各地で花火大会が開かれますね。次の句は恋人の求愛の返事でしょうか。ロマンティックです。花火はどういうわけか、遠い記憶を呼び戻します。
〈街への投網のやうな花火が返事です〉 夏石番矢
〈花火あがるどこか何かに応えゐて〉細見綾子
〈花火果て銀河に戻る隅田川〉角川春樹
最後に夏の一首。歌意を深読みしようとしなくとも、小動物のかすかな動きと言葉の微細な動きが心に残ります。
〈水すまし流にむかひさかのぼる汝(な)がいきおひよ微(かす)かなれども〉斎藤茂吉
──季節ごと、季語ごとに俳句を集めた本を「歳時記」と呼びますが、「歳時記」を眺めて夏の言葉を拾い読みしていると、少しは暑さも紛れるかもしれません。