今日は多くの地域で一気に気温が上昇しましたが、すでに詩歌の世界で春たけなわです。ご自宅に観葉植物を置かれている方であれば、冬の間変化がなかった植物の芽や葉が、ゆっくり成長し始めるのもこの時季です。そんな様子に嬉しい気持ちになっている方も多いのではないでしょうか。
さらに、私たちの体も長らく寒さにこわばっていましたが、暖かな陽射しを浴びて、次第にほぐれていくかのようです。今回は、あちらこちらに“嬉しい予感”がちりばめられた3月の詩歌を集めました。
蕗の薹(ふきのとう)、梅、猫の恋
春のさきがけとしてこの時季、雪解けの合間から、力強く顔を出し始め、春を一番に告げてくれる蕗の薹(ふきのとう)。体にはうれしいほろ苦さが魅力の蕗の薹天ぷらは大人ならではの味わいですが、そんなほろ苦さとともに、蕗の薹には清潔なイメージもあります。
〈蕗の薹食べる空気を汚さずに〉細見綾子
2月になると梅が咲き始め、3月にはもう盛りをすぎているところもあります。ひとつひとつの花や蕾の小さな変化を見つめるまなざしは俳句独特のものです。一茶の「せうじ」は障子のこと。
〈二もとの梅に遅速を愛すかな〉与謝蕪村
〈梅一輪一輪ほどの暖かさ〉服部嵐雪
〈梅咲やせうじに猫の影法師〉小林一茶
身も心もゆるんできたと思ったら驚かされるように、不意に寒さがもどってくることもあります。
〈春疾風(はやて)乙女(おとめ)の訪(おとな)う声吹きさらはれ〉中村草田男
〈筆えらぶ店先にゐて冴え返る〉室生犀星
〈冴え返り冴え返りつつ春なかば〉西山泊雲
〈冴え返る面魂は誰にありや〉中村草田男
〈冴えかへるもののひとつに夜の鼻〉加藤楸邨
〈春寒や旧姓繊(ほそ)く書かれゐる通帳出で来つ残高少し〉栗木京子
今冬、記録的な大雪に見舞われた地域にも春は訪れつつあります。溶けた雪が道を汚してぬかるみになりますが、足元が汚れるぬかるみも「春泥(しゅんでい)」と表現を変えた途端、なにか風情があるような気がしてしまうのも季語のマジックです。
〈春泥に歩きなやめる遠会釈〉星野立子
〈春泥や飛び越えてゆく猫の鈴〉柴田美佐子
〈春泥に行きくれてゐて暖かし〉中村汀女
この時季、夜になると猫が騒ぎ始めます。俳句では「猫の恋」といいます。さらに、冬ごもりしてした虫が穴を出てくるのが啓蟄(けいちつ)です。
〈恋猫の皿舐(な)めてすぐ鳴きにゆく〉加藤楸邨
〈はるかなる地上を駆けぬ猫の恋〉石田波郷
〈啓蟄や幼児のごとく足ならし〉阿部みどり女
〈あの声は何いふ事ぞ猫の恋〉正岡子規
俳句の春と短歌の春
俳句は春の風物に小さな喜びを見つけるようですが、どういうわけか、和歌や短歌はあいまいでかすかな春の憂いを好んで詠むようです。
といっても俳句にも「春愁」という季語があります。
〈うらうらと照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)上がり情(こころ)悲しも独(ひと)りし思えば〉万葉集
〈願はくはわれ春風に身をなして憂(うれひ)ある人の門(かど)をとはばや〉佐々木信綱
〈猫のひげ銀に光りて春昼(しゅんちゅう)のひとりの思ひ秘密めきたる〉小島ゆかり
〈気まぐれな春の雪片われと子のはるかな間(あはひ)に生まれては消ゆ〉川野里子
〈頬杖に置く春愁といふ重さ〉鷹羽狩行
最後に、俳人の詠むちょっと不思議でユーモラスな歌を一首。
〈手も足も勝手に動く感じしてキリンを見たりそのあと河馬も〉坪内稔典
── 嬉しさと憂いが交錯する早春のいま、コロコロと愛らしい姿のシャンシャンが話題になっていますが、大人もふと動物園に行きたくなる……。嬉しさと憂いをはらんだ春には、童心を呼びさます不思議な力も秘められているようです。