桜がほころび始めた先月下旬にお届けした「人力車」のコラムでは、3月24日の「人力車発祥の日」にちなみ、主に日本の人力車についてお話しました。近代化とモータリゼーションのはざまに生まれて消えた「人力車稼業」と、現代における新たな可能性についてご理解いただけたと思います。
今回はその続編として、海外の人力車、人力タクシー文化についてお届けします。
モータリゼーション「前夜」に盛り上がって消えた、人力車文化
人を載せた乗り物を、人がかつぐ……こうした形式の乗り物は、古代から世界各地に存在していました。馬などの動物に曳かせるケースも多かったものの、人間の労働コストが安かった中世~近世にかけては、人が曳いたり押したりかついだりする「駕籠(かご)」「輿(こし)」「二輪車」などが活躍していました。
1869(明治2)年、日本で発明されたという説が有力な「人力車」。そのヒントになったのは「二輪馬車」や、中国やヨーロッパで使用されていた「セダンチェア」(人力で運ぶ椅子かご)だったといわれます。ただし、ヨーロッパでは近代化とともに「同じ人間が動力の乗り物」に乗ることへの違和感が生まれ、人力の乗り物は次第にすたれていきました。
日本では、馬車や鉄道に比べ人を雇うコストが安かったこともあり、人力車が大ヒット。明治初期から中期にかけて庶民の足として人気を博しますが、1896(明治29)年をピークにその需要は下降していきます。鉄道や汽船の普及で、人びとの「人力車離れ」が加速したのです。
かつて海外輸出品の花形だった「人力車」
日本での需要に見切りをつけた人力車製造業者が目をつけたのが「海外輸出」です。人口の多い中国をメインターゲットに、アジア諸国やオーストラリア、南アメリカ、ヨーロッパ、アメリカなど、その輸出先は多岐にわたりました。これらを仲介していたのは、横浜を拠点に活躍していた華僑の人びと。蒔絵をほどこした豪華な人力車が、シンガポールやインドなどで人気を博していたと伝えられています。
しかし、これらの国々でも鉄道や汽船など、新しい交通機関が普及していったのは日本と同じこと。人力車の栄光は長くは続きませんでした。しかし、タイやマレーシア、ベトナム、インド、パキスタン、ビルマなどでは、人力車から派生した「輪タク」(自転車タクシー)文化が発展。自動車タクシーよりも安価な「庶民の乗り物」として、あるいは「観光地の足」として、今も生きながらえています。「リキシャ」「シクロ」「トライショー」などと呼ばれるこれらの乗り物に、海外でお世話になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
さらに近年では、ドイツ発の自転車タクシー「ベロタクシー」が各地で活躍中。「環境にやさしい乗り物」として、人力で走る乗り物が再び注目を集めているのです。
「人が、人を運ぶ」ことのメリットとは?
同じ人間が動力である乗り物を、忌避したといわれる欧米の人びと。その一方で、欧米で開催された万国博覧会では、人力車を曳く日本人の車夫が見世物として展示された例もあるといわれます。
また、アジアをはじめとする諸国を旅する欧米人にとって、ガイドや通訳、ボディガードとしての役割も果たす人力車夫はありがたい存在だったという話もあります。
時代遅れ? 過去の遺物? そんな評価を乗り越え、「エコな乗り物」として再評価を受けつつある人力車。ゴールデンウィークに旅行や行楽を予定されている方は、ぜひ人力車やベロタクシーを試してみることをおすすめします!
安原敬裕・澤喜司郎・上羽博人編著「交通論おもしろゼミナール2 交通と乗り物文化 人力車からジェットコースターまで」(成山堂書店)
参考:齊藤俊彦「人力車の研究」(三樹書房)