
<高校野球東東京大会:広尾7-4目黒日大>◇14日◇3回戦◇ジャイアンツタウンスタジアム
都立の1番星へ、突き進め!! 広尾のプロ注目最速145キロ右腕・古荘敦士投手(3年)が投打二刀流の活躍でビクトリーロードを切り開いた。14日、第107回全国高校野球選手権東東京大会3回戦で目黒日大と対戦。「7番投手」で今大会初先発すると、7回8安打3失点、打っても1安打2打点。7-4で私学を撃破し、過去最高成績である5回戦進出(21年)まであと1つに迫る、4回戦に進んだ。都立勢の夏の甲子園出場は03年の雪谷が最後。限られた環境も力に変え、目標のベスト4入りへ力強く歩を進める。
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投球内容に課題を残したが、限られた環境で培った集中力を存分に発揮した。バックネット裏で複数球団のプロスカウトが見守る中、147球を投げ抜いた古荘は「仲間を信じて抑えることができたのがすごく大きい」と汗を拭った。
救援で神宮デビューした7日の初戦から1週間後、この日は5四死球と制球に苦しんだ。雨上がりで高温多湿とグラウンドコンディションも悪い。だが、ここを脱してこそ、都立の絶対的エースだ。初回に四球から1点を失ったが「三振を取るよりも仲間を信じて打たせて取る」柔軟な発想に切り替えた。決め球を直球から縦に落ちるスライダーに変え、凡打の山を築く。2回からは4イニング連続無失点。背番号1の責務を最低限、果たした。
打っては2点リードの6回1死二、三塁、相手右腕の低め直球を引っ張って左前に2点適時打。「気持ちが打球に伝わったのでうれしかった」と振り返った。
渋谷区の高級住宅地に囲まれた同校グラウンドは右翼60メートル、左翼40メートルと恵まれた環境ではない。それでも、中学3年時に見た練習風景が忘れられない。打球を飛ばせない分、通常規格よりも約500グラム重いバットで、野球ボールではなくソフトボールを打つ。「先輩たちが工夫していて、これだったら絶対私学に勝てると思った」と入学を決意した。
当初は最速115キロほどだったが、01年夏に甲子園出場した城東で投手だった安部雄太監督(42)による専門的な指導も受け、3年間で30キロアップ。「相手にかかわらず、全力でチャレンジャーとして戦う」という都立球児のメンタルも養い、エースに成長した。
指揮官は「今日は30点。彼はもっと上に行ける。もっとすごい選手」と期待を寄せる。大学経由からのプロ入りを夢見る17歳が次に立ち向かうのは、第2シード小山台を下した修徳。「都立の雄」を破った相手に感情も高まるばかりだ。「同じ都立として負けられない」。都立の新星誕生へ、まだ序章だ。【泉光太郎】
◆古荘敦士(ふるしょう・あつし)2007年(平19)9月11日生まれ、東京都出身。小学1年時に豊島クラブスポーツ少年団で野球を始め、中学時時代は神谷ライオンズでプレー。敦士の「敦」の字は元ヤクルト古田敦也氏に由来。目標の選手は高橋宏斗(中日)、中里篤史氏(元中日)。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。
◆広尾 1950年(昭25)創立の都立校。住みたい街ランキングで毎回上位に食い込むJR恵比寿駅から徒歩10分の好立地で人気を集め、地元住民から「広高」の愛称で親しまれている。野球部は開校当初からあり、部員数は33人(マネジャー6人含む)。主なOBにはジャーナリストの上杉隆氏、新宿区長の吉住健一氏(元野球部)ら。所在地は東京都渋谷区東4の14の14。中野清吾校長。
◆都立校の甲子園出場 夏は過去3校が計4度出場し、いずれも初戦敗退した。80年に国立が都立勢初出場を果たすが、箕島に0-5で敗戦。城東は99年に智弁和歌山に2-5で敗れ、2度目の出場となった01年も神埼に2-4で敗れた。雪谷は03年にPL学園に1-13で敗れた。春は14年に小山台が21世紀枠で出場し、初戦で履正社に0-11で敗れた。