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「ショウヘイがもたらしてくれた最高のことは…」ニグロリーグ野球博物館長が語る大谷翔平の功績


大谷翔平選手の活躍により、ニグロリーグでの二刀流選手の偉業が注目されています。ニグロリーグ博物館の館長ボブ・ケンドリック氏は、大谷をベーブ・ルースに比べることは不適切で、ウィルバー・ブレット・ローガンという二刀流の偉大な選手が実際に存在したと述べています。ローガンはカンザスシティー・モナークスでプレーし、殿堂入りを果たしています。また、ニグロリーグのチームが1927年に日本を訪問し、野球の普及に貢献した歴史にも触れています。これにより、日本とニグロリーグの関係性が再確認され、大谷の存在がその橋渡し役となっていることが強調されました。

ロイヤルズ対ドジャース 7回表ドジャース2死、空振り三振に倒れる大谷(右)(撮影・滝沢徹郎)

<ロイヤルズ1-5ドジャース>◇29日(日本時間30日)◇カウフマンスタジアム

カンザスシティーのニグロリーグ野球博物館で館長を務めるボブ・ケンドリックさんが、「スポーツネットLA」でドジャース大谷翔平投手(30)の功績について語った。

ケンドリックさんは、「ニグロリーグにも大谷翔平のような選手はいたんですか?」と問われると、笑顔で大谷の功績を語った。「ショウヘイがもたらしてくれた最高のことは、ニグロリーグで活躍した二刀流の選手の話ができるようになったことです。ショウヘイがメジャーに来た時は、みんなベーブ・ルースに例えていたけど、私にしてみればそれは的外れですね。本当に近い存在は、ウィルバー・ブレット・ローガン。カンザスシティー・モナークスのピッチャーでした」と話した。

20~38年にモナークスでプレーしたローガンは、死去から21年後の98年に米野球殿堂入り。投打二刀流でリーグを代表する選手だった。ケンドリックさんは「ローガンは投手として圧倒的な存在であるだけでなく、登板しないときには外野を守り、4番打者としても活躍しました。ショウヘイの活躍によって、ニグロリーグと日本の関係性についても話す良い機会になったんだ。実はニグロリーグは1927年に日本を訪れているんです。ベーブ・ルースの来日より7年も早い。フィラデルフィア・ロイヤル・ジャイアンツというチームが日本で24試合のエキシビションマッチを戦い、23勝0敗1分という圧倒的な成績を残しました。日本の野球史を研究する方に聞くと、あのツアーが『日本プロ野球という炎をともした』と語ってくれました」と語った。

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