
<日本生命セ・パ交流戦 西武4-2ヤクルト>◇4日◇ベルーナドーム
浦和学院(埼玉)の副校長、森士さん(60)は西武のセカンドアップを眺めながら「もう野球部の監督辞めてから3年以上になるんだなぁ」と懐かしんだ。
野球部の指導を息子に禅譲し、今は学園全体を見る立場に。でも教え子たちのことは気になる。この日も神宮で東京6大学野球の優勝決定戦を見てから、ベルーナドームにハシゴした。
「やっぱり気になるよね。応援したいし」
思い入れは強いし、それは厳しく熱く、そして親身に指導してきたからでもある。当時、ウラガク野球部の厳しさは県外にもまで知られていた。
西武の渡辺勇太朗投手(24)も蛭間拓哉外野手(24)も「それはもう」「濃すぎて濃すぎて」と3年間を独特に表現する。でも2人にとって大好きな母校、尊敬する恩師だ。
渡辺はこの日、恩師がネット裏やや三塁側寄りで見守る中、先発した。「楽しみですし、頑張らないといけないですね」。思いをしっかり形にした。
7回98球、1失点。立派になしとげ勝利投手になって「本当に最高です。うれしいです」とお立ち台でニコニコした。「県営大宮(球場)が浮かんできました」。暑く熱い夏を思い出す。
濃すぎる青春3年間。「一番の思い出はやっぱり、最後の甲子園ですよね」。3年夏、甲子園でベスト8まで進んだ。
甲子園以外での思い出は-。尋ねると、渡辺はしばし思い浮かべる。「いろいろありますよ、ほんとに。なんかもう。あっ、あれだ」。ひらめいた。
「僕が高1くらいの時だと思うんですけど…『君の名は。』って映画がはやってたんですよ」
公開日は16年8月26日。確かに、渡辺たちが高校1年生だった夏の日。
「でも寮生活で基本的に外出が許されてなくて。ケータイ使えるのも、月に1回とかそんな感じで。だから野球部のやつら、『君の名は。』の存在を知ったのが、みんな(話題になった)半年後とかなんですよ」
たとえ校内で他の生徒が「入れ替わってる~」とか名ぜりふをマネしたとしても、渡辺たちには「?」だったことだろう。
それほど野球に打ち込み、甲子園で活躍し、プロ野球選手にもなった。
今年でプロ7年目。少し時間はかかったけれど、強力先発陣の中で堂々ローテーションを守っている。
交流戦にしても「初対戦って、プロ野球界だと基本的にピッチャーの方が有利なので、強気に行ければ」と頼もしい意気込みを口にし、この日のマウンドに臨んでいた。
8回のマウンドにはなかなか行かせてもらえないけれど、この日で個人防御率もパ・リーグ9位にまで上がった。“俺の名は、渡辺勇太朗”と胸を張って君臨できる風格も、徐々に徐々に。恩師も頼もしげに勇姿を見つめていた。【金子真仁】
▽西武西川(花咲徳栄OBが浦和学院の演奏に乗って3安打)「ライバルが手を組むみたいな。いいっすね。高校時代は怖いというか守りに入りそうな応援で。今日は味方ですごかった」