
「私と長嶋さん」<1>
長嶋茂雄さんは多くのファンに愛されました。それぞれの人たちが心に抱く、長嶋さんの思い出を紹介します。第1回は、長嶋さんが愛したうどん店の味を守り続ける店長さんです。
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「ばかもんが!」。長嶋さんの哀哭(あいこく)を聞いた人がいる。宮崎市内の釜あげうどん店「重乃井」の店主、伊豫展子さん(75)。10年ほど前、一緒に店を切り盛りしていた夫史之さんが66歳で死去した後のこと。脳梗塞の後遺症で右半身にまひが残る体をおして、2月の宮崎キャンプ訪問を1泊延長し、来店してくれた。
「60代で逝くなんて…。まだこれからじゃないか!」。仏壇は座敷の奥。上がることはかなわずも、左拳を突き出し悲しみの声を上げた。父母の代から通い続けてくれて60年以上。「店を守ってつないでくれよ」。伊豫さんは背中をたたかれた。そして決意した。「この味を守り続ける」。
長嶋さんは店に入れば1、2時間が常。野球の話はせず、「スポーツは素晴らしいね」と他競技の話題に花が咲くことも多かった。居合わせた客にサインをせがまれれば、拒否したことは一度もない。「いる人は並んでね」と満面の笑みが定番だった。
一方で付き合いが深まれば、違う顔を目撃した。東京ドームに夫婦で招待してもらった。凡ミス続きで負けた直後、「すごい顔をしていた」。記者も近寄りがたい。監督室に1人こもると、「ガチコーン!」と響く。何かが壁にぶつかった。夫婦で目を見合わせた。「嫌な試合を見せちゃったな。プロのすることじゃないよ」。部屋から出てくると、笑顔が戻っていた。
昨年12月、恒例の正月用のうどんを送った。お礼状には左手で書いたサイン。近年は置き時計が送られてきたこともあった。伊豫さんは言う。「『時を刻み続けてくださいね』ということだと」。しょうゆとだしとみりんだけで8時間かけて作るつゆ。75歳の体にはこたえる作業だが、「約束がある。作り続けます」。お嫁さんが次代を担うべく、修業中でもある。
「あ~、これこれ」。そう言ってうどんをすする姿を鮮明に思い出せる。「親戚のような家」。その言葉も胸に、愛してくれた味を伝えていく。【阿部健吾】