
「私と長嶋さん」<2>
長嶋茂雄さんは多くのファンに愛されました。それぞれの人たちが心に抱く、長嶋さんの思い出を紹介します。第2回は、長嶋さんが現役時代から50年以上通い続けた理髪店の店長さんです。
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プロ野球界でさまざまな「メークドラマ」を届けた長嶋さんが現役時代から50年以上通った「文化理髪室」は現在、東京都大田区にある。店長の吉田博さん(78)は店内にある数々の記念品から1冊の専門誌を取り出して開くと、新人記者にこう聞いてきた。
「若いでしょ、これ誰かに似てない? 『誰って』あんた、(ドジャースの)大谷(翔平)君だよ」
ページに大きく載っていたのは、若き日のミスターの写真。耳にかからない程度の長髪。前髪を上げ、太い眉を下げてほほえむ様子が写っていた。
店は1956年に渋谷区の「東急文化会館」(現ヒカリエ)近くに開業した。 長嶋さんが通い出したのは入団2、3年目の時。お気に入りメニューはシャンプーで、多い時は週2、3回訪れた。長嶋さんの担当だった弟の明さんによる洗髪は長い時は数十分も続き、「さすがに(弟も)疲れていて、もういいんじゃないかって」博さんが心配するほど。しかし、プレッシャーから解放されたのか、「あ~」とリラックスする長嶋さんの表情を見ると、止める理由がなかった。
ドラマは、ただ癒やしを求めに来ただけではない。 98年夏。チームの不振や投手ガルベスが審判員にボールを投げつけた不祥事に当時監督の長嶋さんは「けじめをつけるんだ」と明さんに丸刈りを注文。学生時代以来に頭を丸めて、チームを奮起させたのは今でも語り草だ。店内で野球の話はしない人だったが、その時は「俺が早く(ガルベスを)ベンチに下げればよかった」と悔いたという。
晩年は明さんが長嶋さんの自宅まで出向いて散髪していたが、店ではないためシャンプーは難しかった。博さんは「やっぱりさぞかし、やりたかったんじゃないの? シャンプー」と思いやる。背番号3が持ち込んだ自前のヘアトニックと老眼鏡は今でも大切に保管してある。【泉光太郎】