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長嶋茂雄さん生まれ故郷の佐倉市 継承される「伝説」から「育成」まで/連載


巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが逝去し、生まれ故郷の佐倉市では多くの市民とファンが記帳台に集まり、故人をしのびました。長嶋茂雄記念岩名球場では、その功績を深く感じる市民らが訪れ、700人以上が記帳。球場内の記念館もにぎわいました。佐倉高の元監督堀内幹仁氏は長嶋さんの伝説的な若き日の姿を思い出し、野球普及のための彼の努力を継承する意志を表しました。長嶋さんが行った「長嶋茂雄野球教室」は、多くの野球少年に影響を与えました。佐倉市長も、長嶋氏の偉業と精神を次世代に受け継いでいくことを約束しました。記帳台と展示室は7月3日まで公開されます。

長嶋茂雄記念岩名球場、バックスクリーンの裏には、大きく「長嶋茂雄記念岩名球場」の名前が記されている(撮影・保坂淑子)

「私と長嶋さん」<3>

長嶋茂雄さんは多くのファンに愛されました。それぞれの人たちが心に抱く、長嶋さんの思い出を紹介します。

  ◇  ◇  ◇

緑豊かな森に、静かにたたずんでいる。京成佐倉駅から徒歩約25分。田んぼと深緑の木々を眺めながら歩を進めると、右手に「長嶋茂雄記念岩名球場」と書かれた大きなバックスクリーンが目に入る。平日の昼間にもかかわらず、数人が同じ方向へ歩いていた。目指す先は同じ。球場正面に設置された記帳台だった。

3日、巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが逝去されると、生まれ故郷の佐倉市HPなどで記帳台設置が発表され、市民やファンが次々と詰めかけた。6日昼までに700人以上が記帳。球場内の展示室(記念館)も熱心に見学。球場関係者は「試合開催日でもないのにこんなに人が来られるのは今までにない」と驚いた。「地元からこういう人が生まれたのは誇りです」(佐倉市・78歳男性)「遊び心があって、いつも楽しそうだった」(佐倉市・春木晴夫さん・78歳男性)「もう少し生きてほしかった。これだけの功績は素晴らしい」(市原市・泉忠男さん・77歳)。ゆかりの地で故人をしのんだ。

長嶋さんの母校・佐倉高(当時は佐倉一)で24年まで監督を務めた堀内幹仁氏(67)は、偉大なOBの若き日を思い描きながら指導した。「グラウンドに隣接する校舎を越える打球を打った伝説がある。ゆうに130メートル以上の打球。昔の飛ばないバットとボール。そりゃあすごいですよ」。たびたび年配の方がグラウンドを訪れ「ここが長嶋さんが練習をしたグラウンドか」と、感慨深く眺める姿に「いつかは甲子園へ」と指導にも熱が入ったという。

長嶋さんは晩年、野球の普及にも尽力された。14年からは毎年「長嶋茂雄野球教室」を開催。西田三十五佐倉市長は「佐倉市では長年にわたり少年野球教室を開催し、多くの野球少年たちへ技術と情熱を伝えてくださいました。長嶋氏の偉業と精神を永遠にたたえ、次世代へと受け継いでまいります」とコメントを発表(一部抜粋)。これからも、長嶋さんの野球普及への熱い思いを、生まれ故郷、佐倉市が引き継いでいく。【保坂淑子】※球場の記帳台は7月3日まで設置。展示室も同日まで毎日公開。

(「私と長嶋さん」は今後も随時掲載します)

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