
巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
阪神、西武でホームラン打者として活躍した、野球評論家田淵幸一氏(78)が、4日までに長嶋さんを悼み、コメントを寄せた。
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「悲しくて、寂しくて残念です…。いつかは来るとは思っていましたが、突然で…。長嶋さんの名前をインプットしたのは法政大学に入り、長嶋さんの8本塁打という東京6大学野球記録を意識した時でした」と振り返った。
田淵氏は22本という東京6大学の新記録を樹立して、ドラフト1位で1969年(昭44)に阪神入り。巨人の主軸だった長嶋さんと、巨人と阪神にわかれての伝統の一戦を戦った。
捕手だった田淵氏は「長嶋さんはバッターボックスで、俺のミットをカンニングするんだよ。マスク越しに目と目が合って…。『ダメですよ!』って言ったら『左目でピッチャーを見て、右目でキャッチャーを見るんだ』と。カメレオンみたいでした」と回顧。
さらに「他にも、(江夏)豊に2三振した後、3打席目になんだかマウンドまで遠く感じるなぁと思ったら、長嶋さんがバッターボックスから出ているんだよ。足で白いラインを消すわけ。それで、また『ダメですよ!』って言ったら『田淵君、ごめんね』って謝るの。ミスターは計算高くない、お客さんを喜ばせる気持ちが強かった。無意識だったと思う。生粋のショーマンでした」。
田淵氏が巨人の本拠地だった後楽園球場で、1試合で3本塁打を放った時には、グランドで直接声をかけられた。「ダイヤモンドを回って、三塁の守備位置にいた長嶋さんが『田淵君、よく打ったねえ』と笑顔でほめてくれたことを今でも思い出します。お疲れさまでした」と話した。