
主戦投手として阪急の黄金時代を支えた足立光宏氏(85)が3日、89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏をしのんだ。
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足立氏は「日本シリーズ男」の異名を持ち、V9時代の巨人相手にチームの8勝(20敗)中5勝を挙げた。中心選手だったON砲ともしのぎを削ったが、1967年の日本シリーズの長嶋氏との出会いは忘れられない。「試合前練習で西宮球場の外野で球拾いをしていたら、巨人軍がグラウンドに入ってきた。あ…長嶋さんや…と思っていたら『やあ、足立君、久しぶり』って声をかけられて。久しぶりも何も、それが初対面やったんですよ」とまず、天真爛漫な言動に驚いた。
試合前練習を見て、驚きは驚嘆に変わった。「とにかくかっこいい。守備練習も多少、オーバーアクションなんだけど、どういうプレーをすればファンが喜ぶかを心得ておられた。スターだなと思いました」と目を見張った。
だが、本当の驚きはマウンドから打者・長嶋を見た瞬間だった。「打たれたくはないのに、この人にぶつけるわけにはいかない、と思わせる雰囲気があった。もちろん打たせるわけにはいかないからインコースにも投げたけど、絶対に傷つけてはいけない人やなと。今でいうなら、大谷選手がそういう存在なのかな。球界の、まさに宝物と思わせる方でした」。敵味方を超えた、至高の存在を実感した。
たぐいまれな感性にも、目を見張った。「アウトコースに投げたら、右翼ポール際のぎりぎりのところにホームラン性の打球を打たれて。インコースで勝負しにいったら、レフトスタンドに見事に打たれた。配球を読むとか、そういうんじゃない。来た球を打つ。まさにそういう感じでした」。天性の“瞬発力”だった。
グラウンドを離れても、長嶋氏は驚きの存在。オフのゴルフ大会で、同じ組で回ったことがあった。「野球のイメージとは全く違う。ティーアップをすませても、全然打とうとしない。とにかく慎重。もちろん、早く打ってくださいよ、なんてだれも言えませんでした」。長嶋ワールドは不可侵だった。
3日早朝に届いた訃報。「こんな日が来てしまったのか…と。寂しさしかないですね」。同じ時代を生きたスーパースターへの思いはつきなかった。