
<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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東京・東銀座の歌舞伎座で開催された「團菊祭五月大歌舞伎」を鑑賞しながら“継承”する過酷さを想像していた。
八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助の襲名披露公演で、そのにぎわいに触れながら伝統を感じたものだ。
400年を超える歴史を紡いできた歌舞伎界の襲名とは、その家の「名跡(みょうせき)」だけでなく、脈々と続いた「芸」を引き継ぐことに重きが置かれる。当の役者たちは、日本の伝統芸能を導く大きな責任を背負うわけだ。
歌舞伎に比べれば歴史では浅いプロ野球だが、さらにエンターテインメント力を向上させるのに、スター誕生は欠かせない。その点、阪神の若き主砲、森下翔太は“ミスタータイガース”を名実ともに継承する候補といえる。
新人で1年目からリーグ優勝、日本一を経験したのは尊かった。空振り三振を喫してベンチで涙を浮かべる森下を、監督の岡田彰布は「あんな姿、ファンに見せられへん」と突き放したのは可能性を感じていたからだ。
その3年前から比べると、ずいぶんとピッチャーからの攻め方も研究されて厳しくなった。だが阪神球団としては久しく右の長距離打者が現れなかったから期待が膨らむ。プロ3年生にとってチームの“顔”を襲名する区切りだろう。
先週5月22日、甲子園での巨人戦だ。2対2の8回無死満塁、3番森下は、巨人田中瑛の“シュート攻め”がわかっていて、カウント1-2からの4球目シュートを強振し、その打球をまともに左膝に受けた。
その場で倒れ込んだ森下のもとに、一塁ベンチから飛び出したトレーナーが駆け寄った。本人は自分の手で膝をさすった。そのシーンを映し出すテレビから聞こえた解説者の声は素直に耳に入ってきた。
森下が自打球にもんどりかえって、顔をしかめる光景を見ながら、ネット裏でテレビ解説に臨んでいた上原浩治が「いい根性してますねぇ」と感想を述べた後で「日本の野球は、すぐにベンチに帰りますからね」と続けたのだった。
日本ではトレーナーがすっ飛んできて、いったん治療のためベンチに下がって、再びグラウンドに現れてファンから拍手を浴びるのがお決まりのパターンといえる。確かにメジャーではあり得ない。こちらも妙にうなずいてしまった。
上原は大体大から巨人入りして“雑草魂”で日本を代表する投手になった。ボストン、シカゴでも投げる姿を見てきた。レッドソックスの記者席に続く廊下に、世界一の胴上げ投手になった大写真が飾られていたときは誇らしかった。
その一流にのし上がった上原が、森下という選手に感じたのは、ちょっとした負傷にくじけない、やられたらやり返そうとする姿だった。だから口を突いた一言。森下が身につけている「闘争心」を認めたのだろう。
東都野球連盟で審判を務める寺尾久は、中央大にいた森下のプレーをよく見てきた。日大三、立正大で野球を志した拙者のいとこでもある寺尾も「森下君はもともと闘志を内に秘めるタイプだった」と裏付けている。
自打球を受けた打席は凡退し、次の守りからベンチに下がった。だが次の中日戦からもグラウンドに立ち続けた。オールスターのファン投票中間発表でトップに立つのも、見る人を引きつけるからだろう。虎の“顔”になる大事なシーズンになりそうだ。(敬称略)