
プロ野球の阪神、ロッテなどで主戦投手として活躍した小山正明さんが18日午前11時20分に心不全のため死去した。24日、阪神が発表した。90歳だった。小山さんは兵庫県高砂市出身。歴代ともに3位となる通算320勝、3159奪三振を記録した。葬儀は家族葬を執り行った。
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小山さんは物腰が柔らかで紳士的な人柄だったが、野球には厳しかった。いつも甲子園球場のOBルームでソファに座って熱心に試合を見た。そこで必ずささやく口癖があった。
「おいっ、逆球って、なんや?」
捕手の構えを外し、制球を乱す投手にはあきれた様子だった。無四球試合は鈴木啓示さん(近鉄=78試合)に次ぐ2位の73試合。投げ込みでコントロールを身につけた自信が言わせたセリフだろう。
1962年(昭37)の小山さんは27勝(11敗)をあげて、阪神をリーグ優勝に導いた。チーム75勝のうち村山実さんの25勝(14敗)と2人合わせて52勝だから、強烈な2本柱だった。
だから小山さんが登板した当時の阪神は「1点とれば勝てる」といわれたほどだ。ショートのレギュラーだった吉田義男さん(故人)も「きれいなフォームで伸びのある速球派だった」となつかしんだ。
吉田さんに言わせると「ゴロよりもフライが多かったです」というタイプだった。他のピッチャーが投げたときはゴロをさばき続けたが「小山が投げるときは開店休業でしたわ」と制球力に定評があった“精密機械”を信頼した。
またこの年の「最高殊勲選手」に選ばれたのは、最高勝率、沢村賞に輝いた小山さんでなく、最多勝、防御率トップの村山さんだった。プロ野球史上これほど伯仲したMVPも珍しい。
当時は記者投票の締め切りが早く、ペナントレース終盤の成績が反映されなかった。その知らせが届いたのは優勝パレードの途中だったから、小山さんも複雑だったに違いなかった。
59年6月25日の「天覧試合」でも先発し、巨人王貞治さんに同点本塁打を浴びている。プロ野球史に残る伝説のエースだった。【寺尾博和】