starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

「やっぱりすごい人」三井住友グループの“ドン”も目を奪われた“牛若丸”のプレー/寺尾で候


三井住友フィナンシャルグループの名誉顧問である奥正之氏は、親交のあった故・吉田義男氏の「お別れの会」で感慨深い言葉を述べました。吉田氏は阪神タイガースの初代日本一監督であり、奥氏は少年時代から彼に憧れており、その影響で阪神タイガースの大ファンとなっていきました。二人は2003年に初めて対面し、その後はゴルフを共にするなど親交を深めました。2023年には甲子園で共に試合観戦もしています。奥氏は吉田氏の背番号23を永遠に称えつつ、彼の遺志を次の世代へ受け継ぐ姿勢を強調しました。

三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問・奥正之氏は、親交のあった故・吉田義男氏の「お別れの会」でお別れの言葉を述べた

<寺尾で候>

阪神の球団創設90周年の機運が高まっている。甲子園歴史館の企画展「阪神タイガース90年のあゆみ」では、2月3日に死去した初代日本一監督・吉田義男の追悼展が行われている。

3月25日に大阪市内で営まれた「お別れの会」では、三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問・奥正之がお別れの言葉を読み上げた。野球と出会った少年時代を回想し、哀悼の意を表したのは記憶に新しい。

金融界の荒波を乗り越えてきた日本を代表する銀行家、三井住友グループの“ドン”は、帰り際に「やっぱりすごい人だったな」ともらした。

長野県上田市で生まれ育った奥少年は巨人ファンだった。父の転勤で京都市内に移り住んだ翌年、町内会の行事で観戦した甲子園の中日戦で、キラキラと輝く“牛若丸”のプレーに目を奪われる。

吉田は山城高(京都)1年だった1949年、父正三郎に続いて、母ユキノが他界し、いっぺんに両親を亡くした。立命大を1年で中退、プロ入り後もシーズンオフに実家の薪炭業を継いだ兄・正雄を手伝った。

その人柄をスポーツ雑誌で知った奥は感動したあまり、面識もないプロ野球選手だった吉田の自宅に電話をかけるのだった。奥は短いやりとりを鮮明に覚えている。

「頑張ってください」

「はい。ありがとう。頑張ります」

電話を切った瞬間から、吉田は“あこがれ”になった。中学受験の面接で尊敬する人物を問われると「タイガースの吉田義男選手です」と答えるほどだった。

洛星中学校(京都市北区)でハンドボール部に所属し、キャプテンとして強豪チームをけん引できたのは、小さな体で活躍する吉田の姿を自分に重ねながら練習に明け暮れたからだ。

奥は11歳年上で別世界で生き抜いた吉田との関係を「同行二人(どうぎょうににん)の歩み」とお遍路で弘法大師に付き添われたかのような旅にたとえる。

その時点では、まったく無縁の2人だが、後につながったのは運命だった。三井住友銀行に勤務した奥はすっかり“虎カラー”に染まっていった。

同行では前任頭取の西川善文をトップに「住友銀行猛虎会」を発足させていた。85年にリーグ優勝、日本一を達成すると、阪神が東京遠征した際の定宿サテライトホテル後楽園で、約1000人が参加する祝勝会を開催した。

そして東西の銀行内で1000箱を超える紅白の大福餅を関係者に届けたのは語り草だ。それから「三井住友銀行ではタイガースファンでないと頭取になれない」という逸話がささやかれるようにもなった。

吉田と奥が初めて会ったのは03年11月、星野阪神が18年ぶりのリーグ優勝を果たした祝勝会の席。すでにトップ経営者の奥だったが「名刺交換の手が震えた」と緊張した。それからあこがれの存在とは、ゴルフをする間柄になった。

時が流れた23年11月1日、吉田と奥は、阪神が1勝2敗で迎えたSMBC日本シリーズ第4戦を、甲子園で一緒に観戦している。最終回に大山の劇的なサヨナラ打で、その場は大盛り上がった。

監督の岡田彰布は、同点で緊迫した8回、4カ月半ぶりの1軍登板だった湯浅を投入した。吉田はVIPたちの輪の中心で「見事な采配ですわ。これで流れは阪神です」と師弟関係にあった岡田の勝負勘を称えて日本一を予言する。

そういえば前年22年5月の週末、阪急阪神HD会長だった角和夫からの誘いで、吉田を交えて西宮カントリークラブでゴルフをしたのは、奥にとって忘れられない思い出になった。その場に招かれたのは岡田だ。

奥が次期監督に岡田が指名された“儀式”のラウンドだったことを悟ったのは、後で雑誌にすっぱ抜かれ、しばらくたってからだったという。

その情報は意外なところからもれた。その記事を執筆したライターは「ある人物からウラをとった」と打ち明けた。

奥は何度か予定が変更された末にセットされた当日の様子を持ち出して「あれ、そういうことだったのか。岡田さんがスタートホールで2連続OBを叩いたのはプレッシャーを感じていたのかもしれませんね」という。そして吉田の遺影に向かって「吉田さんはご存じだったのですか…」と問いかけるのだった。

最後に2人が顔を合わせたのは24年8月1日、甲子園球場開場100周年の巨人戦。記念の始球式を終えた吉田は、ロイヤルスイートにいた奥とバルコニー越しに会話を交わした。

吉田は「甲子園というのは野手を育てる厳しい球場でした。プロ野球選手はファンが見ていただくことで成長するんです。子どもたちがあこがれる人間であってほしい」と訴えた。

奥も「このような良き先輩の遺志を受け継いで、たくさんの子どもたちが皆さんの日頃の立ち振る舞いから必死に何かを感じ、学び、励みにしていることを常に忘れずに精進していただくことを期待しています」と語った。

少年時代からあこがれたスターは、まさしく奥の人生に多大な影響を及ぼした一人だ。「阪神タイガースの背番号23よ、永遠なれ!」。最後にそう惜別の言葉を捧げるのだった。(敬称略)

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    おすすめ
      Starthome

      StartHomeカテゴリー

      Copyright 2025
      ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.