
<カブス3-6ドジャース>◇19日◇東京ドーム
ドジャース佐々木朗希投手(23)は多くの“土産”を抱えて再び海を渡る。日本でのメジャーデビュー戦はカブス相手に最速100・5マイル(約162キロ)で3回1失点で降板し、記念すべき初白星はお預け。5四球と制球は乱れたものの初回は160キロ台を連発し、MLB大争奪戦の理由を実証した。東日本大震災で多くを失った少年は14年後、日米野球ファンの注目を集める大舞台の中心に。メジャーリーガーとして歩み出した。
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佐々木朗希がメジャーデビューした25年3月19日の朝、春も近いというのに東京には雪が降った。彼の節目には白が似合う。本人は「晴れ男です」と話し、母陽子さんは「それは晴れ女の私の影響だと思います」と胸を張る。
それでも人生の節目にはなぜか雪が舞う。大津波で多くを失い、3兄弟で身を縮めて震えていた11年3月11日の夜も、陸前高田には雪が降っていた。あの日、ロッテの選手寮へ向かう20年1月8日の朝も。
玄関を開けた。見知った顔が30人ほどいる。「全く予想してなかったです」。大船渡高野球部の仲間たちが「朗希以外」のLINEグループを極秘作成し、サプライズを練って備えた。「感動でした」。
泣いた? そう尋ねると「はい…いや、でも、すごく感動しました」と少しゴニョゴニョした。中軸をくんだチームメートの父、木下清吾さん(57)が「フレ~、フレ~、朗希!」とエールを送り始め、万歳三唱で締めた。三陸の小さな街の、小さな上京。
その朝も小雪が舞っていた。木下さんは懐かしむ。「ドラフト1位で選ばれての旅立ちの日ですしね。しっかり激励してあげたかったから、自然とね。ここから世界に羽ばたいてほしいって願いを込めて」。母が運転する車に揺られ、青いリアスの海を眺め「もう簡単には帰ってこられない場所」と思いながら。
東京ドームに万歳三唱はない。その代わり、高い志と共に海を渡る若者に、万雷のエールや拍手が降り注ぐ。見送ってくれた仲間たちは今、海の仕事をしたり、新聞記者をしたり。消防士として山火事の鎮圧にあたったり。それぞれの道で力を付ける。負けじと大きくなって帰ってくる。雪の降る頃に。【金子真仁】