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米国最古の球場で行われた“ニグロリーグ”主役メイズ氏訃報にぼう然も歴史的な試合に強い感動


米アラバマ州リックウッドフィールドで初のMLB公式戦、カージナルス-ジャイアンツが行われ、先日亡くなったウィリー・メイズ氏のプラークが野球殿堂博物館から運ばれた(福島良一氏提供)

今年も6月は絶好調のドジャース大谷翔平投手も気になりますが、私はメジャー史上初の歴史的な試合に行って来ました。米南部アラバマ州バーミングハムでニグロリーグに敬意を表するため、初のMLB公式戦として開催されたカージナルス-ジャイアンツ戦です。舞台となったのは米国で現存する最古の球場、リックウッドフィールドです。

1910年開場の球場は当初、マイナーリーグのバロンズの本拠地でしたが、20年以降に黒人だけのプロ野球リーグ、いわゆるニグロリーグのブラックバロンズも使用。以来、白人だけでなく黒人選手も試合を行い、実に107人もの殿堂入りスターがプレー。ニグロリーグの歴史が作られた聖地となっています。

30年代に大リーグは大恐慌の影響で観客動員数が減少。国民の野球離れを防ぐために、絶大な役割を果たしたのがニグロリーグでした。彼らは白人選手以上の才能を発揮し、大リーガーに対抗するため激しくプレー。彼らの挑戦なしにメジャーリーグの発展はなかったとも言えます。

大リーグ機構はニグロリーグに敬意を表すため、豊かな歴史ある球場で初のイベントを開催しました。6月18~20日まで3日間、マイナーの試合やソフトボール大会、さらに野球教室など、さまざまな催しを行い、最後は同州初のメジャー公式戦でフィナーレを迎えました。

主役は殿堂入りのウィリー・メイズ氏でした。彼の出身地であり、48年にニグロリーグでデビューした場所でもありましたが、残念ながら本人は1年以上前から闘病生活を送っていたために来場できず。サンフランシスコの自宅でテレビ観戦を楽しみたいと伝えられました。

ところが、18日マイナーの試合で7回表終了後、場内に訃報が知らされました。「本日、メイズ氏が93歳で亡くなった」と…。大型スクリーンにメイズ氏の在りし日の姿が映し出される中、突然の訃報に観客は深い悲しみに暮れ、泣き出すファンもいました。私もあまりのショックで、ぼうぜんとしてしまいました。

訃報に関係なく、既にニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館から、彼の生まれ故郷であり、48年にプロ入り初安打を放った思い出の球場にレリーフが移動。19、20日と2日間だけ安らぎのホームに帰って来ました。

また、19日の黒人奴隷解放記念日に合わせて、市内にメイズ氏の巨大壁画がお披露目されました。48年ブラックバロンズ入団からの経歴、51年のナ・リーグ新人王をはじめ、数々の受賞歴とともに壁面に「セイ・ヘイ・キッド」こと史上最高万能外野手の絵画が描かれ、全米から集まった多くのファンでにぎわいを見せていました。

メイズ氏の栄誉をたたえる試合はグラウンドに彼の永久欠番「24」が描かれ、試合前のセレモニーでは彼が名付け親のバリー・ボンズ、ケン・グリフィーJr.とともに、彼の息子マイケルさんが登場。元ニグロリーグの選手が50人以上参列し、最高齢99歳のビル・グリーソン氏が始球式を務め、歴史的な一戦にプレーボールが宣告されました。

場内には伝説のビリー・ホリデイやレイ・チャールズらの黒人音楽が流れ、両チームともニグロリーグの復刻ユニホームでプレー。殿堂入りのレジー・ジャクソンら往年の黒人スター選手も多数来場するなど、素晴らしい演出の数々。まるでニグロリーグの世界にタイムスリップしたような強い高揚感に浸りました。

思えば、21年にアイオワ州ダイアーズビルの映画ロケ地で初めて開催された「フィールド・オブ・ドリームス」ゲームに行きましたが、今回のニグロリーグ表敬試合はそれ以上に強い感動を覚えました。なぜなら、それは空想的な映画でなく現実の世界だからです。

ミズーリ州カンザスシティーにあるニグロリーグ博物館のボブ・ケンドリック館長が「これはニグロリーグ史上における重大な瞬間」と話してくれたように、今後メジャーとニグロリーグの記録が統合する意味でも、これまでで最も意義あるゲームだったと思います。【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

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