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松井秀喜氏「名もなきホームラン」に興味 大谷翔平に抜かれるまで日本人1位MLB通算175本


試合前のセレモニーで日米通算500本塁打の記念トロフィーを手に笑顔を見せる松井(2011年7月撮影)

<We love Baseball>

ドジャース大谷翔平投手(29)が、新たな日本人の歴史を刻んだ。21日(日本時間22日)のメッツ戦に「2番DH」で出場し、3回の第2打席で今季5号の先制2ランを放った。メジャー通算176号で、松井秀喜氏を抜いて日本人メジャーリーガーの最多記録を更新した。3打数2安打2打点でチームの連敗は3でストップした。

   ◇   ◇   ◇

大谷の名が超高校級の花巻東2年生として世に出始めた11年の初夏だった。

当時アスレチックスの松井は日米通算500号の節目へカウントダウンを迎えていた。かつてのような量産ペースではない。少しずつ歩み、立ち止まっては、再びゆっくりとした歩調で大台へ進む。到達への数字を目減りさせていった。

記念のアーチへ、担当としてネタが必要だった。松井は抜群の記憶力で、ホームランを打った年月日、対戦相手、シチュエーションを覚えている。だがプロとして放った本塁打より、「名もなきホームラン」に興味がわいた。松井秀喜が何者でもなかった少年時代に、草野球で放ったアーチを、最初の1本を覚えてはいないのか-。

「覚えてないよ、そんなの」

甲高い笑い声で、一笑に付された。だが言葉を重ねた。「実家の裏の空き地で兄貴と野球をずっとしていた。そして、子供の時、あの喜びを知った。それがホームラン打者として夢を追い求める最初の分岐点だった」

明確な放物線の記憶はないが、感情は鮮明に刻まれていた。松井にとっての原風景だった。

夢を追い求めた松井のサクセスはここであらためて、記すまでもない。多くの野球ファンが「ゴジラ」と評された男の夢に乗っかった。相乗りできたからこそ、その軌跡は希望に満ちあふれていた。

時は移ろい、大谷がホームラン打者として名をはせる。ユニホームをとうに脱いだ白髪交じりの松井は今も野球教室で、在りし日のようなホームランをせがまれる。「王さんが55歳の時にOB戦で甲子園でホームランを打った。自分も55歳まで打ちたい」。夢を語る時期もあったが、年齢にはあらがえない。「もう無理だよ。いつまで打たせるの」と軽口もほほ笑ましい。

松井は何とか柵越えしようと、スピンをかけるようにボールの下を打つ。内野上空に高々と上がるポップフライは、それはそれでロマンを感じる。

今はとても想像できない。だが遠い将来、年輪を重ねた大谷が野球教室で見せる黄昏のスイングも、往年と重ね合わせ、いとおしくなるだろう。空高く舞う、やや上ずったフライも味があるに違いない。【広重竜太郎】

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