グランプリ・準グランプリ 同時受賞!
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/234717/LL_img_234717_1.jpg
グランプリ・準グランプリ 同時受賞!
■番組名:がらくた ~性虐待、信じてくれますか~
<番組内容>
国の調査によると、日本では13人に1人の女性が、性暴力の被害に遭っているといいます。しかし、そのうち警察などに届けて出た人は、2割にも満たないのです。 日本では、実際に声を上げられている被害者は、ごく一部の人に限られているのかもしれません。
小学3年生から20代前半までの、実父からの性暴力被害の記憶に苦しみ続けている、なみさん。
取材が始まったころ、顔は出したくない、と話していた彼女でしたが、後日こんなメッセージが届きました。「モザイクかけちゃうと、被害者Aさんになってしまうんかなぁって感じて」。そして取材を受けた理由についてこう語りました。「回復の仕方をテレビで見せられたらいいなって思う。性被害は過去にならない、ずっと泣いている人が1人でも減ればいい」。声を上げられない多くの被害者を代表して、自らの姿を晒す覚悟を私たちは感じました。
その後の取材で私たちは、性暴力被害の苛烈さを、何度も目の当たりにすることになりました。フラッシュバックが起き過呼吸に。抑うつ状態となり、起き上がれない日も。
さらに、過去の記憶を「上書き」する行為も。身に着けていた下着を男性に売ることで、自分を必要とされる感覚を得たい。実父に触れられ傷つけられた記憶を性行為で上書きするため、風俗店に勤めたこともありました。いずれも想像し難いものでしたが性暴力被害の記憶に苦しむ彼女にとって、止むに止まれぬ行為だといいます。
彼女の被害からの回復の、鍵となる存在は母親。過去に父親からの被害を訴えたとき、「あなたの勘違いじゃない?」と応えたという母親ですが、それでも信じてもらいたいと考えていました。母親は、性虐待を信じてくれるのか。なみさんは絶縁状態となっていた母親のもとを訪ねます。しかし、母親は否定も肯定もしませんでした。
最後に彼女は問いかけます。「性虐待があったと信じてくれますか?」。その言葉は、性暴力被害者たちから社会への問いかけのようでもありました。
スタッフ:森葉月(ディレクター/中京テレビ放送)
佐藤彩子(撮影/CTV MID ENJIN)
安川克巳(監修/SLOW MEDIA PROJECT合同会社)
渡邊祐史(監修/中京テレビ放送)
横尾亮太(プロデューサー/中京テレビ放送)
製作著作:中京テレビ
■番組名:バヤルタイ ~モンゴル抑留72年越しのさようなら~
<番組内容>
中京テレビ報道局で働くモンゴル人のO.ホンゴルズル記者は、抑留経験者が年に1度集まっていた「モンゴル会」を取材。そこで出会ったのが、神戸市に住む友弘正雄さんでした。
満州で終戦を迎えた友弘さんは、ソ連軍によってモンゴルの首都ウランバートルへ移送。時は11月下旬、モンゴルではすでに極寒の冬が始まっており道中で足が凍傷に。生きるために両足を切断しました。
抑留を生き抜いた友弘さんは、1972年に日本とモンゴルの国交が樹立されて以降、モンゴルの大地に残された戦友たちの墓参と遺骨収集のため、毎年のように渡航を続け、その回数は40回を超えました。
しかし出会った当時、友弘さんはすでに94歳。「向こうで死んでもいいから、最後の慰霊に行く」と連絡が入りました。ホンゴルズル記者は、迷うことなく同行を決めました。
友弘さんの最後の慰霊の旅に同行する中で、抑留という悲劇の過酷な現実と、その後のモンゴルの子どもたちとの心の交流を目の当たりにします。そこから私たちが感じたのは、悲劇を乗り越え現在の友好関係を築いた、先人たちのかけがえのない努力でした。
また、モンゴルの番組にホンゴルズル記者が出演し、抑留について知る人についての情報提供を呼び掛けたところ多くの反響が寄せられ、すぐさま取材を展開。日本人抑留者たちの看守だった96歳の元モンゴル兵の証言にたどり着くことができました。
抑留を経験したかつての日本兵と、抑留者の看守だったかつてのモンゴル兵。取材を通じて出会った2人の歴史の証人が戦後75年のいま願うのは「平和」以外の何物でもありません。
スタッフ:O.ホンゴルズル(ディレクター/メディア7)
三上誠志(撮影/CTV MID ENJIN)
安川克巳(監修/SLOW MEDIA PROJECT合同会社)
横尾亮太(プロデューサー/中京テレビ放送)
製作著作:中京テレビ