
その動画が流れているモニターの前で、記者(矢追)は思わず立ち止まって見入ってしまった。
「我々は貧しく、肌の色は褐色で、地図で見つけるのも難しいはるか遠くの太平洋の島々に住んでいるかもしれない。けれど、60年前に私たちが無視されてはならなかったように、今日も無視されるべきではない」
心に刺さるメッセージ。動画でそう話していたのは、太平洋に浮かぶマーシャル諸島の外相を務めたトニー・デブラムさん(2017年に死去)。15年の演説の一部だ。
デブラムさんが訴えていたのは、戦後まもなくから始まった米国による核実験の「犠牲」だけでなく、今そこにある地球規模の危機にもさらされている現実だった。
日本とも縁深く
オーストラリアとハワイの中間に位置するマーシャル諸島は、五つの島と数十の環礁、多くのサンゴ島で構成される。
陸地の総面積は約180平方キロで、霞ケ浦(茨城県)と同じくらいの大きさ。人口は4万2000人ほどしかいない。
実は、日本とは縁が深い。かつてはドイツの植民地だったが、1914年に第一次世界大戦が始まると日本に占領され、20年から委任統治の下に置かれた。
約30年間の統治時代、現地の子どもには日本語の教育がなされた。
「アミモノ」(ヤシなどの葉を編んで作る手工芸品)、「ヤキュウ」、「アメタマ」(ココナツキャンディー)――。マーシャル語には、今も日本語の名残がある。
太平洋戦争の後は米国の統治下に。米国は46~58年、ビキニ環礁などマーシャル諸島で原水爆実験を67回も実施した。
「これは、12年間、毎日1・6発の広島型原爆を投下することと同等の規模です」
デブラムさんは、被害をそう紹介している。
若い女性が砂浜で踊る中で、核実験や髪が抜け落ちた人の写真がさしはさまれる。
マーシャル人はこれまで、がんや甲状腺障害、出産異常などの被害に苦しんできた。住んでいた島が放射性物質に汚染され、帰れなくなった人も少なくない。
「核兵器なくすために闘うべきだ」
これが上映されているのは、大阪・関西万博の会場(大阪市此花区)だ。
「島は今も放射性物質で汚染され、核兵器の影響は世代から世代へと受け継がれることを知ってほしい。どうやって除染するのか。解決策は、今もまだありません」
マーシャル諸島のパビリオンのスタッフで、国立アレレ博物館・図書館の職員、ソーリーン・バジョさん(31)はそう話す。米国は補償をしているが、対象となるのは被害の一部にとどまる。
「マーシャル諸島は、日本と同じ核兵器の影響を受けた国の一つで、今も人々の命と権利のために闘っている。私たちはともに核兵器をなくすために闘うべきです」
「世界の人々に気づいてほしい」
デブラムさんは「私たちはなおも声を上げ続けるべき理由がある」と訴える。目の前に差し迫っている地球温暖化の問題だ。
国土の海抜は、平均で約2メートル。海水温が上がってサンゴが白化したり、海面の上昇により高潮の被害が増えたりして、島の面積が狭くなり始めているのだ。
気候変動による雨不足にも見舞われている。
ソーリーンさんは「科学者は20年後にマーシャル諸島は海に覆われると推測している。気候変動は今まさに私たちの身に起きていると、世界中の人々が気付いてほしい」と願う。
マーシャル諸島大学で経営や会計学を学び、気候変動の問題に取り組むグッドウィン・シルクさん(21)も「世界がこの状況を知るには、さらに多くの背景を知る必要がある」と語る。
マーシャル諸島は温室効果ガスの一つ、二酸化炭素をほとんど排出していないのに、甚大な被害がもたらされる。
国家の生き残りをかけて、防波堤の設置や土地のかさ上げなどの取り組みが実施されている。
だが、マーシャル人の努力だけでは解決できない。日本をはじめ、世界中が責任を果たす必要がある。
万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。動画は、こんなメッセージで締めくくられていた。
「この事態から逆転する時間はまだ残されている。だから私たちは故郷のために歌い、声を上げるのだ」【矢追健介】