
飛鳥時代に有力豪族・蘇我氏の支配地だった甘樫丘(あまかしのおか)遺跡群(奈良県明日香村豊浦)から大型井戸跡や倉庫跡が見つかった。乙巳(いっし)の変(645年、大化の改新)で蘇我氏が滅亡した後の7世紀後半の遺構とみられる。27日発表した明日香村教育委員会は、天武天皇が「蘇我氏色」を一掃して一帯を大規模造成した様子が分かる発見としている。
甘樫丘遺跡群は村教委と関西大が2020年度から共同調査を進めており、今回、24年度発見分を発表した。大型井戸は直径1・8メートルで、方形小型ため池(一辺3メートル)の底に掘られていた。倉庫は一辺3メートルの方形。22年度発見分と合わせ、2棟以上が建っていた。
隣接する甘樫丘東麓(とうろく)遺跡では、奈良文化財研究所の05~07年度調査で、権勢を誇った蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子の邸宅とみられる7世紀前半の建物跡が発見されている。今回の調査地も蘇我氏の支配地だったが、滅亡後の7世紀後半は飛鳥浄御原宮(飛鳥宮)を造営した天武天皇が跡地利用を進めたとみられる。
村教委文化財課の長谷川透係長は「供物などの保管場所として利用したのでは」と話している。30日午後1時から村中央公民館で発掘報告会がある。村文化財課(0744・54・5600)。【皆木成実】