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津波に襲われ殉職 警察官が乗っていた被災パトカー、展示の意義


 福島県富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に、1台のひしゃげたパトカーが展示されている。2011年の東日本大震災の発生当日、2人の警察官が使っていた車両だ。町民を避難誘導していた佐藤雄太警部補(当時24歳)と、増子洋一警視(同41歳)=共に2階級特進=は大津波に襲われ、佐藤さんは今も発見されていない。

 車両は、東京電力福島第1原発事故による警戒区域の中で長らく放置されていた。しかし、「殉職した警察官の思いを伝えたい」と町民有志が保存の要望書を町に提出。15年に双葉警察署近くの公園に移設された。車両の隣にはポストが設置され、地元住民や全国から訪れた警察官などから約1000通ものメッセージが寄せられたという。

 ミュージアムは同町の地域資料や、東日本大震災と原発災害で生じた震災遺産を収蔵、展示するため、21年に開館。被災したパトカーも館内で公開されることになった。

 佐藤さんの父安博さん(65)は「パトカーを見るのは、あの日を思い出すのでつらい」と語る。以前は月命日に公園を訪れていたが、ミュージアムにはまだ足を運んでいないという。

 しかし、車両を展示する意味は理解している。ポストに投函(とうかん)されたすべてのメッセージに目を通し、「あのパトカーの避難誘導で命が助かった」など感謝の気持ちが寄せられたからだ。「1人でも2人でもね、命が救われたという証しは、重く受け止めています」と語る。

 ミュージアムには国内外から来場者があり、パトカーの前で手を合わせる人も少なくない。中には「線香をあげたい」と話す人もいたという。ただ、震災で心に傷を負った人にとって、被災展示物を見ることは苦しみも伴う。

 パトカーの保存に関わってきた主任学芸員の門馬健(たけし)さん(40)は「震災遺産がここにあれば、心が落ち着いた頃に来ることができる。いつでも災害を振り返れるという意味で公開するのは大事なのかなと思います」と展示の意義を説明する。また、原発事故で震災直後の情報が少なかったことから、「避難誘導の様子などパトカーが展示されたことで集まってきた証言もある」と別の効果も見られるという。

 ミュージアムには同県いわき市の高校生たちが見学に来ていた。震災の展示物を見るのは初めてという小野陽葉里(ひより)さん(17)は「実物がないと想像するのが難しい。津波の怖さが実感できた」と話した。

 元日には能登半島地震が発生した。安博さんは「映像、見られないよね。東日本大震災と同じだなと思ってしまって。日本は災害のない場所なんてない」とつぶやいた。だからこそ、「3月11日は忘れてほしくない」と訴える。「その手段として、あのパトカーがある。人間は忘れるから」と震災の風化に対する思いを吐露した。

 「雄太は警察官という立場。見つかるのは最後でいい」という思いで待ち続けてきた安博さん。自宅の祭壇には息子の写真が並ぶ。まもなく13年がたつ。【手塚耕一郎】

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