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望むのは極刑、でも…奈央美は帰ってこない 京アニ放火、母の4年半


 4年半の月日は長かった。元気なうちに結果を見届けたい。高齢の母は、最愛の娘の命が奪われた事件の判決を待ち望んできた。「死刑しかあらへん。でも……」。どんな判決になっても、あの子はもう帰ってこない。怒りや悲しみが消えることも、きっとない。

 京都アニメーションに勤務していた石田奈央美さん(当時49歳)は、作品の色遣いや仕上がりを決める「色彩設計」を担っていた。京アニ作品の美しさを確立した一人だった。

 暗転したのは2019年7月18日。猛烈な火と煙が京アニ第1スタジオ(京都市伏見区)を襲った。命を落としたのは石田さんも含めて36人に上り、ガソリンをまいて放火したとして青葉真司被告(45)が逮捕、起訴された。

 「何があったのかを知って、区切りをつけたい」。石田さんの母親(82)は青葉被告の裁判に期待していた。供述したと報じられていた「小説をパクられた」とはどういうことなのか。京アニとどんなトラブルがあったのだろうか。

初公判前に夫亡くなる

 夫は足腰が悪くなっても「車椅子で裁判所に行く」と傍聴を望んでいた。しかし、年を重ねて本当に行けるだろうかと案じているうちに、夫は衰えていった。寝たきりになり、傍聴は断念した。初公判の1カ月前に87歳で亡くなった。

 自身は一度も法廷に足を向けず、公判の内容は新聞やテレビで知った。青葉被告の発言を目にすると、「顔なんて見たくない」と初めて怒りが湧き起こった。自身の小説が京アニに盗用されたと主張する一方で、「やり過ぎた」とも語った被告。「自分が言いたいことだけ言うて、罪の意識なんて全然ないやん」

 以前は娘を思い出すと、涙があふれた。「あの朝、『行かんとき』と言えばよかった」。事件当日、石田さんは京都府宇治市にある社屋から、テレビ局との打ち合わせのため現場の第1スタジオに出向いていたところで、事件に巻き込まれた。

 流れる涙は次第に少なくなり、自分なりに区切りをつけようとしてきた4年半だった。入院した夫を自宅でみとるため、娘の部屋も整理した。遺品の大半は処分したが、全焼した現場から戻ってきたリュックサック、娘の名が記されたDVD作品はやはり捨てられなかった。

 片付けをしていると、屋根裏で娘の古い写真を見つけた。100枚以上あるだろうか。多くは、1991年に京アニへ入社してまもない頃のものだった。保護した野良猫を抱いたり、同僚と一緒に旅行したり。まだ20代の愛娘。どれも初めて見る姿だった。

 25日にようやく青葉被告の判決が出る。弁護側は無罪を求めており、判決を受け入れずに控訴するかもしれない。「あれだけの事件を起こして、冤罪(えんざい)なんかとは違いますやろ。控訴されたら、いつまで待っても区切りがつきませんやん」。裁判が続くことになれば、自分は判決の確定を見届けることができるのか。決着がつくのはいつになるのだろうか。

 検察側は死刑を求めている。「死刑になったかて、奈央美も誰も帰ってこおへん。むなしいわ」。手にした写真を見つめた。はじけるような笑顔だ。写真を撮られるのが嫌いだったはずなのに、白い歯を見せて笑っている。【南陽子】

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