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島には3人だけ…孤立状態で2週間 「生きているだけよかった」


 最大震度7を観測した能登半島地震。石川県輪島市の沖合約50キロの日本海に浮かぶ「舳倉(へぐら)島」では震度5弱を記録し、島民3人が被災した。食料の備蓄はあったものの、停電と断水、そしてネットもつながらずニュースを見られない。3人は孤立状態で約2週間を過ごし、14日に自衛隊のヘリで脱出。輪島市街地の大規模な焼け跡などを初めて目の当たりにして衝撃を受けた。

 舳倉島は釣りやバードウオッチングの愛好家によく知られ、周囲約5キロ、最も高い丘は海抜約12メートルだ。現在は約30人が定住し、夏場は民宿を営業する人や海女たちが滞在して人口が増える。元日は輪島の市街地などで親族と過ごす人が多く、残っていたのは北陸電力の委託で電気設備の保守点検を担う坂口剛さん(57)と妻の幸子さん(56)、近所に住む海女の中野美津子さん(72)だけだった。

 坂口さんが幸子さん、中野さんと初詣を終え、くつろいでいた時に地震が発生。特に2回目は縦横に激しく揺れた。「普通ではないと思った」。まだ映っていたテレビで大津波警報が出たと知り、幸子さん、中野さんと共に車で避難所になっている高台の診療所へ逃げた。

 海の様子を眺めて坂口さんは息をのんだ。海岸から約20メートルの公園に津波が押し寄せ、園内の高さ約2メートルの小屋が海水につかっていた。自分が素潜り漁をする時に使う小舟も流されていった。「現実と思えず、映画のシーンのようだった。いつものように住民がいたら、亡くなる人もいたのでは」。金沢地方気象台によると、舳倉島には津波を観測する機器がないという。

 津波が引いてから海岸に近い自宅に戻ると、腰ほどの高さまで海水が入り込んだ跡があり、冷蔵庫が倒れていた。ストーブも水につかった。津波の再来を恐れて幸子さんと診療所や車の中で夜を明かし、冷凍していた麺類などをカセットコンロで温めて食べた。本土側の輪島市鳳至(ふげし)町下町にもある自宅に住む娘3人とは緊急用の衛星電話で通話でき、無事と分かった。中野さんは地震や津波の被害を免れた自宅で過ごすことができた。

 3日ごろから自衛隊などが船やヘリで来訪し、避難を呼びかけられた。ただ坂口さんは「本土側の被害のひどさを分かっていなかった。1週間もすれば定期船も再開して落ち着くだろうから無理に島を離れなくていいと思っていた」。とはいえ食料の残りが乏しくなり、3人一緒に島を出た。

 坂口さんは今、断水が続く本土の自宅で暮らす。家は傾き、使っていなかった井戸から砂が噴き出して家中に40センチほども積もっていた。家財道具を片付けたいが、どこに持っていけばいいか分からない。中野さんは姉と一緒に輪島市中心部、河井町の県立輪島高校で避難生活を送っているが体調を崩し気味だという。

 輪島港は海底が隆起したとみられ、舳倉島を結ぶ定期船は再開のめどが立っていない。坂口さんはため息をつく。「いつ島に戻れるのか……。でも、輪島には地震で仕事を失ってしまった人もいる。街はどうなってしまうのか。生きているだけよかったと思うしかない」【黒詰拓也】

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