starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

龍馬も学んだ「神戸海軍操練所」防波堤跡か 神戸で遺構初確認


 幕末に勝海舟の進言で創設され、坂本龍馬らが学んだ「神戸海軍操練所(そうれんじょ)」の一部とみられる石積みの防波堤跡が神戸市中央区新港町で見つかり、同市が9日、報道陣に公開した。当時の絵図から操練所は同町一帯にあったとされ、記念碑も建っているが、遺構は未発見だった。函館、横浜、長崎など幕末に開港した5港のうち、発掘調査で遺構が確認されたのは初めてで、日本の港湾史を考える上で貴重な発見。

 操練所は江戸時代末期の1864年、海軍士官の養成機関として幕府が開いた。史料などによると、旧神戸村の生田川河口に造られ、約5・7ヘクタールの敷地には軍艦の造船施設や修繕用のドックもあったという。勝に師事した坂本が塾頭を務め、後に外相となる陸奥宗光らを輩出した。しかし、幕臣だけでなく脱藩浪士らも受け入れたことから幕府ににらまれ、開所後約1年で閉鎖された。跡地には港湾施設が整備され、68年に神戸港が開港した。

 市によると、ウオーターフロントの再開発にあたり、2023年から発掘調査を進めていた。地下約1・5メートル付近から、石を水平に積む「布積み」と呼ばれる江戸期の工法で造られた防波堤跡を確認。検出したのは一部だが、全体では高さ約1・5メートル、幅約6メートル、長さ約26メートルに及ぶとみられる。また、上部の地層からは、この防波堤を土台に神戸港開港時に建設されたとみられる防波堤跡も見つかった。石を斜めに積み上げて強度を高めた「谷積み」の技法で築かれていた。

 大阪府立弥生文化博物館の黒崎直名誉館長は「立体的で保存状態も良く、見るものに感動を与える迫力がある」と評価。神戸市の担当者は「操練所を土台に神戸港が発展していった様子がよく分かる」とし、直接見学できる形での保存を検討するという。

 現地説明会は13、14両日に開催。新たに10日午前10時以降、市のイベント申し込みサイト(https://kobecity-event.jp)で受け付ける。【山本真也】

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.