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歴史から消えた楽器、独学で復元 「日本随一の製作家」の軌跡


 かつて欧州で広く親しまれた鍵盤楽器「チェンバロ」を製作する久保田彰さん(69)の工房が埼玉県新座市にある。1人で営む工房が多い中、複数の職人を抱える国内最大規模の工房で、若い奏者へのサポートも熱心だ。奏者の間では「現在、日本随一の製作家で、頼れる存在」との声が上がる。

出会った「目指すべき音」

 「チェンバロは一度歴史から消えた楽器です。でもチェンバロのための音楽は楽譜として残っている。(どんな楽器か)知りたくなった」。久保田さんは製作を始めた動機をこう説明する。

 チェンバロはピアノの前身とされ、外見はピアノに似ている。だが、ピアノが弦を打って音を出すのに対し、弦をはじいて音を出す。楽器としてはハープに近い。16~18世紀のルネサンス~バロック時代、欧州で広く使われたが、チェンバロが好まれた宮廷の文化の衰退とピアノの普及が重なり、一時製作が途絶えた。

 久保田さんは父親がアマチュア画家で、絵画に親しむ環境で育った。幼い頃から手先が器用で、模型を作るのが得意だった。「将来は美術関係かな」。漠然とそう思って育ったが、次第に絵を描いて暮らす自分にリアリティーを感じられなくなったという。

 そんな頃、チェンバロと出会い、作る人がいないと知った。貴族がお抱えの画家に装飾させたり、脚部に彫刻させたりしたという楽器にひかれ、「美術と音楽の接点になりそうだ」と感じた。復元を始め、独学で試作を繰り返した。分からないことがあると、旅費をためて欧州に見学に行った。「博物館や、個人の収集家に一生懸命、英語で手紙を書いた。100通くらい出すと、20~30通は返事がある。それを握りしめて訪ね歩いた」

 1979年、英国エディンバラの修理工房で目指すべきチェンバロの音と出会った。訪問時、ちょうど修理を終えたばかりの17世紀のチェンバロ「ルッカース」の音色だ。「世界が変わりました。これがゴールだと分かったので、その後は迷わずに、耳が覚えている、あの時の音を目指してきた」。チェンバロ製作を仕事にすると決意し、81年に新座市で工房を開いた。

理想と現実のバランスの取り方を模索

 くぎもネジもほぼない時代の木製楽器で、久保田さんの工房では約10種類の木材を組み合わせる。欧州で使われた木の性質を考え、国産材で代用する。1台作るのに短くても3カ月。小型で装飾のないものや要望に応じオリジナルの絵を描く注文も受け付ける。東京オペラシティの「近江楽堂」(東京都新宿区)や、八ケ岳高原音楽堂(長野県南牧村)のチェンバロなどを製作。工房としての製作台数は400台に及ぶ。新型コロナウイルス禍で練習場所を失った学生向けに工房近くに練習室をつくり、サポートした。

 設計図だけが残る15世紀のチェンバロを再現したこともある。久保田さんは「研究者は現物がないと想像できないかもしれませんが、僕は技術者なので、いかにもあったもののように作ることができる。“捏造(ねつぞう)魂”が働くんです」。チェンバロ奏者の廣澤麻美さん(59)は「文献にしか残っていない楽器。どんな音が鳴るのか、どきどきした」と話す。

 娘で2代目のみずきさん(39)らと製作にあたる。主に装飾を手がけるみずきさんは「古い楽器を、なにもかも現代に再現することはできない。理想と現実のバランスの取り方を、日々模索している」と話す。

芸術劇場監督、近藤さん見学 「埼玉回遊」の一環

 彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市中央区)の芸術監督で、振付家の近藤良平さん(54)がチェンバロ製作家、久保田彰さんの工房を訪ね、見学した。県内各地を巡って地域の文化芸術を掘り起こす「埼玉回遊」の一環。近藤さんは「骨董(こっとう)品のような楽器がここで生まれ、現存していない音を作っている。ロマンがありますね」と楽しげに語った。

 県内には久保田さんの先輩格の製作家がかつて工房を構え、今も工房が集まるという。近藤さんは「埼玉がチェンバロ産地とは、かっこいいよね」と新たな出会いに刺激を受けていた。

 埼玉回遊は、2024年2月までの彩の国さいたま芸術劇場の改修中、近藤さんが秩父屋台囃子(ばやし)の継承者や藍染め工場など県内約30カ所を巡るキャラバン企画。人との出会いなどから着想を得て舞台作品を作り、同年3月に公開する。【岡礼子】

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