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「英国民の母」生涯ささげる=積極的に王室改革―世界の王族の手本に・エリザベス女王


 【ロンドン時事】8日に死去したエリザベス英女王は、王室と国民との距離を意識し続けた国家元首だった。閉鎖的との批判もあった王室の改革を積極的に進め、国民の要望に応える姿は「英国民の母」として愛され、世界中の王族にも影響を与えた。  父ジョージ6世が56歳の若さで死去した時、まだ25歳の王女はケニア公式訪問中だったが直ちにロンドンにとって返し即位する。悲しみと覚悟が入り交じったような表情で搭乗機のタラップを下りる黒い喪服姿の王女と、滑走路で出迎える直立不動のチャーチル首相ら要人の後姿を捉えた写真がある。「私には修業時代がありませんでした。父の死はあまりに早かった」と当時の心境を述懐する言葉を残している。  若くスター性のある女王の戴冠は、まだ戦後の窮乏を引きずり、大英帝国の没落に直面していた英国にとって久々の明るい話題であり、国民は大歓迎した。世界各国への訪問でも人気を集め、英外交にとって計り知れない「財産」となった。生涯で公式に訪れた国は120カ国以上に上る。  一方で、長い伝統を誇る英王室には一部で廃止論も浮上していた。これに対し女王は、1962年にバッキンガム宮殿の一部を初めて一般公開。私生活をテレビ番組で紹介したり、インターネットの動画投稿サイトに王室の専用チャンネルを開設し、毎年恒例のクリスマスメッセージを掲載したりと、新しい試みを次々と打ち出した。大衆酒場のパブを訪れるなど、親近感もアピールした。  女王にとって最大の危機だったといわれるのが97年のダイアナ元皇太子妃の交通事故死。当初女王は国民の悲嘆ムードと距離を置き、バッキンガム宮殿に半旗も掲げなかったことで「王室は元妃を冷たく扱った」と強い反発を受けた。当時女王は71歳だったが、世論調査では、約5割の国民が75歳までに退位すべきだと答えるなど王室批判が強まった。  女王は国民のショックの深さを察して態度を改め、異例の追悼メッセージを読み上げ、元妃が暮らしていたケンジントン宮殿前に花束を手向ける市民と言葉を交わした。常に国民の気持ちに寄り添おうと心を砕く姿勢によって王室への信頼を勝ち得るとともに、多くの国の王族の手本にもなった。  即位時の凛とした若き女王は13歳の時の初恋の相手、夫の故フィリップ殿下と共に歳を重ね、晩年は愛嬌(あいきょう)のある笑顔が似合う「おばあちゃん」として親しまれた。「私は継続することこそ重要と考えます。これ(王位)は一生の仕事です」という言葉通り、起伏に富んだ英国戦後史の大部分を君主として見届け、96年の長い生涯を国民にささげた。 【時事通信社】 〔写真説明〕ロンドン西方バークシャー州を訪れ、笑顔を見せるエリザベス英女王=7月15日(AFP時事) 〔写真説明〕エリザベス英女王=1988年4月、北部パース(AFP時事) 〔写真説明〕1952年2月、ジョージ6世の死後、ロンドンの空港に到着したエリザベス英女王(Avalon時事)
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