みずみずしさとさわやかな甘みが特徴的なスイカは、暑い時期に食べるのが最高ですよね。今回は、この夏の風物詩にまつわる3つのトリビアをご紹介いたします。これを読めば、明日誰かに話したくなってしまうこと間違いなし!
■【スイカの原産地】そのルーツはアフリカにあった!
まずは、スイカの原産地についてお教えいたしましょう。現在では、日本の夏の風物詩となっているスイカですが、これの祖先にあたる植物はアフリカで生まれたと言われています。
その詳しい起源については、専門家の見解も分かれているそうですが、約4000年前の古代エジプトでは、すでに栽培が始められていたそうで、その証拠も残っているのだとか。当時は、果肉ではなく種を食べていたと言われており、ツタンカーメンの墓からも、スイカの種が見つかっているそうですよ。
16世紀頃には、世界各地で育てられ始めたというスイカ。日本に伝来した時期についても確かなことは分かっていないらしく、中国から伝来したという話や、ポルトガル人によって伝えられたという話など、さまざまな説が囁かれているようです。
■【スイカ暮らし】果実から生活用水を取り出して生活!?
スイカ原産地の有力候補として知られるアフリカ南西部・ナミビア共和国のカラハリ砂漠には、そこに自生するスイカで命をつなぐ人々がいると言います。
日本のスイカとは違い、大して甘くはないものの、乾燥に強く水分を溜め込む現地のスイカは、“砂漠の水がめ”と呼ばれているそう。当地に暮らす「サン族」は、ソフトボール大のスイカから飲み水や生活用水を取り出したり、さまざまな調理をして食料にしたりと、これを存分に活用しながら暮らしているのだとか。
狩猟民族であるサン族はスイカを栽培していないため、そこに生えるスイカが尽きたら移動する、という生活をしているとのこと。砂漠という過酷な環境でも、スイカがあれば人間は生きていけるのですね。
■【スイカ割り】天才軍師があのゲームの生みの親は!?
最後にご紹介するのは、スイカ割りにまつわるトリビア。砂浜で行われるこの楽しいゲームには、恐ろしい起源があったというのです……。
スイカ割りが誕生した詳細な時期については、定かではないとのことですが、一説によれば、「三国志」の時代にはすでに行われていたと言います。
なんでも、中国における戦の前の通例として、罪人を頭だけ出して砂に埋め、棍棒で叩くという儀式が行われていたとのこと。残虐さを見せつけることにより、相手側の戦意を喪失させるという狙いがあったのだとか。
これにストップをかけたと言われているのが、あの諸葛孔明。残虐な様子を見かねた孔明の発案によって、頭がスイカに置き換えられるようになったそうです。
その後には、海の神様へのお祈りとして、この儀式が日本に伝承され、現在のスイカ割りが生まれた……というのは、あくまでも諸説ある起源のうちの一つ。信じるか信じないかは、あなた次第です。