■出会ってすぐ意気投合
「彼女とは僕が38歳のとき英会話スクールで出会いました。彼女は9歳年下。とても素敵な女性だったので、何度目かのグループレッスンの帰りに『一杯、行きませんか』と声をかけたんです」
ツヨシさん(40歳)はそう言ってうつむいた。当時を思い出すのがつらそうだ。
その日、おしゃれなワインバーで軽く飲むつもりが、話が弾んで気づいたら3時間もたっていた。恋愛経験の少ないそんなに気が合う女性は初めてだった。彼女が終電がなくなるというので、ふたりで駅まで走った。
「それがなんだか楽しくて。彼女を送っていくという名目でそのまま彼女の家へ行っちゃったんです。部屋に着くと彼女は、『私も別れたくなかった』って。そこからほぼ同棲でしたね。僕は実家住まいだったので、少しずつ洋服や身の回りのものを運んで」
1ヶ月後、彼は結婚しようと彼女に言った。彼女はすでに両親もいないから、私はいつでも結婚できると泣いたという。
「こうなったら結婚式もしなくていい。婚姻届を出すだけでいいんじゃないかとも思いました。でも彼女は『あなたにはご両親がいるのだから、せめてご両親をお食事に招待したい』って。いい子でしょう。彼女の部屋は狭かったので、新しいところを契約しました。そしてそこに家具や家電など全部新しいものを買って搬入したんです」
両親との食事会の日に婚姻届を書き、そのままふたりで提出して新居に一緒に帰る。そんな段取りになっていた。
■いきなり別の女性に言い寄られて…
“その日”の3日前、会社からの帰り道、ひとりの女性に声をかけられた。
「あなたの婚約者のことで話したいことがある、と。周りに聞かれると困るから、カラオケボックスに行きませんかと言われて……。ホテルに誘われているわけじゃないし、彼女のことなら気になるから行きましたよ。その女性は、彼女とかつて同僚だったと言って、彼女の男性遍歴を話し始めたんですよ。僕、そういうことは気にしないからと言ったんですが、延々話している。そのうち僕、猛烈に眠くなったんですよね」
気づくと、ボックスでひとりだった。女性の姿はない。フロントに行くとすでに朝までの料金が支払われていた。
「いったい何だったんだろうとそのときは不思議なだけだったんですが、今思えば、カラオケボックスの部屋についてすぐ、僕はトイレに行ったんです。その間に頼んだビールが来ていたから、何か入れられたのかもしれません」
その話を彼女にはしなかった。どうして女性とふたりでカラオケボックスに行ったのかと誤解されるのもいやだったし、話の内容を伝えれば彼女を傷つけると思ったからだ。
「その日はもともと実家に帰ることになっていました。駅からの帰り道、彼女に電話したんだけどつながらなかった。翌日はすでに引っ越した新居にいる彼女のところへ行くことになっていたので、特に気にもしなかったんですが」
翌日、仕事を終えて新居へ行った彼は、声も出ないほど驚いた。家具も家電もないがらんとした部屋になっていたからだ。
「床に一枚、写真が落ちていました。カラオケボックスで僕が例の女性とキスしているように見える写真、僕が彼女の胸を揉んでいるように見える写真など。でもはっきりは見えないけど、たぶん僕、寝ているんです。何の記憶もありませんから」
彼女に電話をかけたが、すでに番号は解約されていた。
「友だちみんなに、それは騙されたんだ、その女も彼女が仕向けたんだってみんな言うんですよね。そうかもしれない。でも僕は、彼女のことを疑いたくないんです。何か困ったことがあったんじゃないか。そんな気がしているんです」
彼は自信なさそうにつぶやく。もしかしたら彼女の名前も本名ではなかったのかもしれない。その件があって初めて、彼女のことをまったく知らなかったと気づいたそうだ。
「ベンチャー企業に勤めていると言っていたけど、社名も聞いてなかった。どこで生まれ育ったのかも知らない。そんなことあるわけないと言われるんだけど、知り合ってすぐ強烈な恋に落ちて、1ヶ月ちょっとで新居を探したり彼女の引っ越しがあったりして、僕自身も信じられないくらいせわしなかった。なにより目の前の彼女と一緒にいるのが楽しくて、過去のことなんてどうでもいいと思っていたし」
あれから2年。彼は今も、自分の気持ちを整理しきれずにいる。