
俳優渡辺哲(75)がひとり芝居「カクエイはかく語りき」(8月23、24日に新潟・柏崎市文化会館、9月9~15日に東京・下北沢ザ・スズナリ)を上演する。今太閤と呼ばれ国民的人気を博しながら、ロッキード事件で刑事被告人となり、1993年(平5)に75歳で亡くなった田中角栄元首相の生きざまを演じる。2018年(平30)の上演作に田中元首相が亡くなった75歳になって、7年ぶりに挑む心境を聞いた。【小谷野俊哉】
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1875年(明8)に劇団シェイクスピア・シアターの旗揚げに参加。制作を志望して経理を担当しながら、役者としても参加するようになる。全38作品の連続公演の37作品に参加して、主役も3本務めた。俳優としての楽しみも分かるようになったが、アルバイトは辞められずにいた。
「劇団をやっていて、もうこれはダメだってなって思うようになりました。制作ばっかりやったりとかしてて、年に3本ぐらいあって、それをメインでやったりとかしてたんですけど、もう辞めるって言ったんです。それで友達っていうか、劇団のやつに電話したら『渡辺、マスコミをやれ』って言われたんですよ。マスコミっていうのは、舞台じゃなくて映画とかテレビ。それが転機になりました」
オーディションで黒沢明監督の面接を受けて、1985年(昭60)に公開された「乱」で映画に初出演する。
「テレビや映画に出るためにどうしたらいいって聞いたら、マネジャーが必要だって紹介してくれた。その方は今井さんと言う人なんですけど、市原悦子さんがやっていた番衆プロを辞めて浪人をしていたんです。それで一緒にやろうかってことになって、37歳の終わりに一緒に事務所を作ったんですよ」
太平洋戦争中にオランダ領東インド(現インドネシア)のアンボン島で起きた、日本軍による連合軍捕虜虐殺事件に関する軍事裁判を描いた映画「アンボンで何が裁かれたか」に出演したことで、チャンスが広がった。
「39歳くらいの時に、たまたま僕はラッキーで、映画のオーディションに合格したんですよ。オーストラリアで15週間くらいかけて撮影しました。それで40歳でアルバイトを辞めて、役者1本でやっていけるようになりました」
映画「アンボンで何が裁かれたか」は、91年に日本でも公開された。
「その時にワーナーブラザーズの試写室が浜松町のほうにあるんですけど、1日に1回、試写をやるから時間があったら来てって言われたんですよ。終わり頃に行ってみたらTBSの偉い人とか大河ドラマの先生とか、いろんな方がいらっしゃってたんですよ。どうもってあいさつして、その時初めて渥美清さんと会うんですけど。そうしたら、仕事がどんどん来たんですよ」
現在のように配信で試写を見られる時代ではなかった。試写会場に通って映画を見る。そして、そこはさまざまな出会いの場所でもあった。
「そういう感じで、出口でいろいろあいさつしていたら、それでなんかオファーが来たんですよ。演技が下手だから大変でした。それで伊丹(十三)さんとか(北野)武さんとかの監督作品に出るようになっていった、そんな感じですよ。マネジャーが映画が好きだったら、それを中心にやりました。市民権は得てないですけどね、全く」(続く)
◆渡辺哲(わたなべ・てつ)1950年(昭25)3月11日、愛知県常滑市生まれ。東京工大中退。75年「劇団シェイクスピア・シアター」旗揚げに参加。85年「乱」で映画デビュー。91年(平3)に映画「アンボンで何が裁かれたか」。双子の息子は俳優本多英一郎(47)とプロレスラーのアントーニオ本多(47)。181センチ。血液型A。