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寺尾聰、78歳のいま思う「60歳以上をスカッとさせる映画を」文化根付かない日本にもの申す


寺尾聰さん(78)が、16年ぶりに主演映画『父と僕の終わらない歌』で、アルツハイマー型認知症と診断されながらも息子の支えで歌手デビューを果たす父親役を演じ、感動を呼んでいます。この作品は、実際に80歳でCDデビューを果たしたテッド・マクダーモットの実話に基づいており、寺尾さん自身の俳優・歌手としてのキャリアが活きています。取材を受けた寺尾さんは、録音を拒否し、記者に自身の言葉で感じたことを書いてほしいとの思いを示しました。彼は役者としての信念を持ち続け、音楽活動にも注力する姿勢を見せています。映画の中での歌唱や演奏も自らアレンジし、役者人生の集大成と言える作品となっています。

いわゆる「決め」ポーズが苦手という寺尾聰さん。撮影時、話しながら机に手をついて見せた笑みには優しさと役者としての「熱」を感じました(撮影・浅見桂子)

5月18日に78歳になった寺尾聰の、16年ぶりの主演映画「父と僕の終わらない歌」(小泉徳宏監督)が同23日、封切られた。アルツハイマー型認知症と診断されるも、息子の支えで歌い始め、若き日の夢だったプロ歌手の夢へと動き出す父を演じた。俳優として日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、歌手として日本レコード大賞を受賞した唯一の存在であるキャリアが生きた同作含め、出演映画3作が相次いで公開された今、寺尾が芝居と歌を語った。【村上幸将】

★記者としてどう感じたか

寺尾は向かい合うなり「えっ、録るの? よせよ。やめてくれる」と、机の上の録音機材を止めるよう訴えた。記者が「コメント、間違えて書きたくないので」と伝えても「俺は、間違えていいから」などと一切、受け付けず、録音は29秒で終了。その裏には1つの思いがあった。

「俺の言葉を書き起こされると、つまんないんだよ。この役者が、こうだった、というのが反映されていない気がする。記者の役をやった時、記者は何を俺から探ろうとしているのかと思い始めたんだけど…ほとんどが映画のちらしに書いてあることをまとめたような、つまんない原稿。だったら、ちらしでいいじゃないか? あなたの言葉で、書いて欲しいと言っているんだ。記者として、どう感じたかを書けば良い」

「じゃあ、原稿の1行目から『録音、やめろ』と言ったことを書きますよ」と言い返すと、椅子から身を乗り出し「それでいい」と言い、初めて笑った。机を挟み、ピリッとした空気が漂う中、取材は始まった。

★仕事選ぶきっかけの1人

「父と僕の終わらない歌」は、アルツハイマー型認知症を患いながら、息子が配信した動画をきっかけに16年に80歳でCDデビューし、英国史上最高齢の新人歌手となったテッド・マクダーモットの実話を映画化した。同世代として演じた思いを聞くと、5月20日に同症であることを公表し芸能活動を続ける、橋幸夫(82)について語り出した。

「医師から(後期高齢者に)団塊の世代が増え、収まったと思っていたアルツハイマーが増えてきたと聞いた。橋さんが現役をやると聞いたけれど、環境があるならやらせた方が良い。完全な治療法はないのだから、映画の中で描いたように好きなことをやらせて進行を遅らせた方が良い」

その上で俳優になるきっかけとなった世界の“喜劇王”の名を口にした。

「『あなたは、どなた?』と言われた(家族の)悲しさ、つらさ…何とも言えないことが最後の最後、ここまできたかと(温かい感動の)涙になる。そこには包み込んでくれる愛情しかない。この仕事を選ぶきっかけとなった何人かの1人、チャップリンも『モダン・タイムス』(36年)で『スマイル』と言うじゃない。そんな大先輩に、はるか東洋の小僧っ子が、こんな映画を作ったと言いたいね」

★意気投合 桃李でGOだと

09年「さまよう刃」以来16年ぶりに映画に主演。きっかけは、息子を演じる俳優が13年のWOWOWドラマW「チキンレース」で初共演し、意気投合した松坂桃李(36)だったことだ。

「どんな人でも仲良くなるわけじゃないし、後輩でも寄って来ないのもいるけど前から気に入っていた。桃李でGOだと。どんな役をやっても品がある。真面目で性格も良い。(1月期のTBS系)『御上先生』はテーマも刺激的で面白く、大きな拍手を送ったよ」

もう1つ、背中を押したのが小泉徳宏監督(44)の熱い言葉だった。

「兄貴分の小泉堯史監督(80)だと思ったら全然、違う小泉さんだった。話したら、良い人で(監督作の)『ちはやふる』を見たら面白かった。でも、何を考えているんだ? と思ったら『寺尾さんの代表作にしたい』って。冥利(みょうり)に尽きる…よし、やるぜと。昭和の人だからさ」

★ケンカして前歯なくなる

チャップリンの「モダン・タイムス」の代表曲「スマイル」をはじめ劇中で歌唱、演奏した洋楽の名曲は自ら選曲、アレンジした。伸びやかな歌声と笑顔は勝手知ったるバンドメンバーと作り上げた、たまものだ。

「ラストは、生でやらないとできないシーン。いつもやっているバンドのメンバーだから(自分の)芝居を見たことがないんで面白がっていた。彼らもアーティストだから、一緒になってのめり込んでいたね」

81年に自ら作曲した「ルビーの指環」で日本レコード大賞、01年に小泉堯史監督の「雨あがる」、05年に「半落ち」(佐々部清監督)で、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。自身の俳優、歌手人生が初めて交わった作品、役では? と聞くと声を大にした。

「俺、役者なんだよ。たまたま、50年近く前に売れたことがあって、歌手として歌番組に出たけど」

68年の映画「黒部の太陽」では、父宇野重吉さんと父子役を演じ俳優デビュー。父が創立した劇団民藝入りを希望も、石原裕次郎さん率いる石原プロモーション(現石原音楽出版)に入った裏には、事情が…。

「役者になろうという意志が固かったわけじゃない。ケンカばかりやって『黒部の太陽』に出た後、前歯が全部なくなった。警察にもお世話になり、高校1年も3回やった。そんなことで、たまたまうちに来ていた石原さんに預けられた」

★100人会場で月1ライブ

今年は4月に「アンジーのBARで逢いましょう」(松本動監督)、5月16日には「金子差入店」(古川豪監督)と2カ月間で出演した映画が3本、相次いで公開した。今後は、音楽により注力したいと考えている。

「100人くらいの会場で月1回、ライブをやっている。来年あたりから、もう少し積極的に音楽で動ければと。23年に久しぶりに紅白歌合戦に出たら、面白かったらしくNHKから特番の話があった。映画の話が来たから断ったんだけど、撮影が終わったら、また話が来て収録した。近々、何かやれないかなと思う」

78歳の今を「老年じゃなく、熟年」と位置付けた上で思いのたけをぶつけた。

「芝居の話? 老人ホームのような役しか来ねぇよ。(俳優が)若いから客が入るとか…作り手も勘違いしている。人気だけ見て善悪の区別がついていないね。今、人口の3分の1いる60歳以上の観客をスカッとさせる映画、撮ってみろっていうんだ! もっと文化の根付いた日本になって欲しい。映画は米国で7大産業の1つ。韓国や中国だって、どれだけ映画で稼いでいると思う? 日本だけだよ、国が何も手を施さないの。コロナ禍の時、大事なものは衣食住となったけど…やはり文化は大事よ」

「父と-」で息子を演じた松坂桃李(36)

カメラのセッティングとか、ちょっと時間があった時、寺尾さんが急に「ルビーの指環」を歌い始めて。めちゃくちゃぜいたくで、歌ってくれる! と大興奮でした。(父子で)車の中で歌うシーンは、足を引っ張っちゃうと思って、全曲覚えなきゃいけないと思いました。

◆寺尾聰(てらお・あきら)

1947年(昭22)5月18日、神奈川生まれ。64年にエレキバンド「ザ・サベージ」を結成し66年に「いつまでもいつまでも」でデビュー。08年紫綬褒章、18年旭日小綬章受章。

◆「父と僕の終わらない歌」

間宮雄太(松坂桃李)は幼なじみの志賀聡美(佐藤栞里)の結婚式に父哲太(寺尾聰)の車が大幅に遅れ遅刻。哲太は式で自慢の歌声を披露も、帰りに自宅の場所が思い出せず後日、アルツハイマーと診断され一時、行方も分からなくなる。雄太は愛した音楽を流すと哲太が歌い始めた姿を、スマートフォンで撮影、配信。すると瞬く間に拡散され、プロの歌手になることが夢だった哲太にCDデビューの話が舞い込む。

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