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「いつの間にか俳優になっていた」78歳大物「夏休みに山」の誘いで大スターに預けられる


俳優で歌手の寺尾聰は、「人生最高レストラン」に出演し、俳優となったきっかけについて語った。彼の父である宇野重吉が石原裕次郎と親しかったため、劇団民藝の俳優として映画「黒部の太陽」に出演することになった。寺尾は元々俳優になるつもりはなかったが、父親に促されるまま現場へ足を運び、いつの間にか俳優人生が始まったと振り返る。特別な予定はなかったが、自然に俳優の道を歩み始めた経緯をユーモラスに語った。

寺尾聰(2025年5月撮影)

俳優、歌手の寺尾聰(78)が24日放送のTBS系「人生最高レストラン」(土曜午後11時)に出演。俳優になったきっかけを振り返った。

1968年の映画「黒部の太陽」を石原裕次郎さんが独立して作ろうとしていた際、大手映画会社が引き抜きなどを防止するために結んだ「五社協定」があったため、各社から「うちの俳優は貸さない」と言われたことを説明した。ただ寺尾の父で戦後を代表する名優で劇団民藝の創立者、宇野重吉さんが、裕次郎さんと懇意にしており「しょっちゅう、うちにも顔出していただいたりしてたもんですから」と、劇団民藝の俳優が「黒部の太陽」に出演することになった経緯を話した。

続けて「突然、『お前、ちょっと来い』って言われて『何?』って…。役者やるつもりないから、夏休みに山に行けるみたいだ、って話で…」と父との会話を振り返りながら、行き先が「黒部峡谷」だったことを明かした。実際に行くと「『ちょっと、これ(役者)やれ』みたいな」と、突然の役者人生の始まりを回想した。

そして「だから死んだおやじは心配だったんでしょう。こんな学校もろくに行かないヤツは将来どうなるか。で、裕次郎さんのとこに預ける、みたいな形でなったんですよ。それで最初は、俳優なんてできねえよって言いながら、何かムニャムニャしてるうちに、いつの間にか俳優になっていた」と語った。

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