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北大路欣也「撮影前にちゃんとごあいさつ」ヤクザ抗争描いた「仁義なき戦い」撮影前の仁義明かす


北大路欣也が「さよなら丸の内TOEI」イベントに参加し、映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」の舞台裏を語った。彼は撮影前に本物のヤクザに挨拶をし、仁義を切った後に撮影に臨んだと述べた。司会の笠井信輔が当時の状況について質問し、北大路は当時の広島での危険な状況を明かした。本作は広島のヤクザの抗争を描いたシリーズの一部で、このエピソードから広島でのロケが可能となった。

「さよなら丸の内TOEI」で上映された映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」上映後舞台あいさつに登壇した北大路欣也(撮影・村上幸将)

北大路欣也(82)が11日、東京・丸の内TOEIの閉館プロジェクト「さよなら丸の内TOEI」の一環として行われた1973年の映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」(深作欣二監督監督)上映後舞台あいさつに登壇した。

73年に第1作が公開された「仁義なき戦い」シリーズは、広島のヤクザの抗争を描いた。第1作の製作当時、舞台の呉市は抗争が終わっておらず、危険であり広島ロケは実現しなかった。第2作の「-広島死闘篇」から広島ロケが実現したが、北大路は撮影前に本物のヤクザにあいさつに行き、仁義を切ってから撮影に臨んでいたと明かした。

司会のフリーアナウンサー笠井信輔(62)から「当時は、抗争の残り香が残っていた。暴力団の皆さんも見学に来るとか、集まってきたりはしたと思うが、そのあたりはどうだったのだろうか?」と質問が出た。北大路は「撮影前に、ちゃんと正しくごあいさつをした。『この役をやらせていただきます』ということを、ちゃんとごあいさつした」と明かした。

笠井が、慌てて「52年前…暴対法の前の前ですからね」と、92年3月の暴対法施行前だと注釈を入れた上で「仁義は切る…仁義あり撮影」と評すと、北大路は笑った。そして「清流もあれば濁流もある…それは、人生そのもの。清流だけの人なんて、1人もいないと思います。そういう世界は、そういう世界。私たちは役をやる人間として、情熱をお互いにぶつけ合うのがメイン」と口にした。

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