
震災で飼い主を亡くし、岩手県釜石からやってきた一匹の犬は、なぜか西の方角を目指している。仏法の守護神の1つから「多聞」と名付けられたこの犬は行く先々で傷ついた人々に寄り添い、救いとなる。
愛犬家なら思わず手に取りたくなる馳星周氏の直木賞受賞作「少年と犬」は、6つの短編で構成されている。この中の数編にオリジナル要素を加え、多聞を媒介とした1組の男女の不思議な出会いを描いたのが同名映画(20日公開)だ。
震災後、生活苦から窃盗団のドライバーとなった和正(高橋文哉)は、ふらりと現れた多聞が、ふさぎがちだった母親(手塚理美)を笑顔にしたことに救われる。一家に明るさが戻った頃、多聞は西に向かって姿を消す。
時は流れ、多聞は滋賀に住む美羽(西野七瀬)に飼われている。ダメ男に翻弄(ほんろう)され、デートクラブで働く彼女は多聞との出会いで、本来の自分を取り戻そうとしている。
多聞の後を追うように職を転々としてきた和正が多聞を介して美羽に出会ったところから物語は急転する。多聞が目指すその先には何があるのか。ともに旅しようとする2人だが、美羽には「追っ手」が迫っていた。多聞が目指すある少年との約束とは。
主人公の2人はともにまっとうに生きようとしながら、やみにやまれない事情から道を踏み外している。高橋のはにかみ笑いが、和正の優しさを映している。
西野はほぼノーメークに見えるシーンも多い。すさんだ心から安らぎを取り戻した終盤への変化が目に見えて伝わる。「護られなかった者たちへ」(21年)などの濃い人間ドラマで知られる瀬々敬久監督の演出にしっかりと応えている。
西野は「監督や高橋さん、スタッフの皆さんと意見を交わし、パターンを試しながら撮影することができました」と振り返っている。映画、ドラマで幅広い役を演じてきたが、8年前の「あさひなぐ」以来の主演作(高橋とW主演)となり、女優としての力を実感させる作品だ。
多聞が道中で出会う人々として斎藤工、宮内ひとみ、柄本明、伊原六花、伊藤健太郎らが出演。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)