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小倉智昭さんは太陽であり“家族”だった 寺尾聰は声詰まらせ…二宮和也、菊川怜は涙止まらず


昨年77歳で亡くなったフリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が、彼が愛したブルーノート東京で行われました。嵐の二宮和也や菊川怜など多くの参列者が、小倉さんを家族同然に感じていたことを語りました。司会の笠井信輔は「天国から叱られないように」と挨拶し、デーブ・スペクターは小倉さんの多才さをたたえました。寺尾聰は小倉さんとの友情を振り返り涙を流しました。二宮和也は小倉さんとの思い出を大切にし続けることを誓い、最後の電話で励ましてくれたエピソードを菊川怜が感謝を込めて語りました。700人を超える人々が出席し、笑顔に囲まれた即席の“再会”となりました。

「小倉智昭さんお別れの会」の祭壇

<小倉智昭さん お別れの会>◇17日◇ブルーノート東京

昨年12月9日に、ぼうこうがんのため77歳で亡くなった、フリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が17日、生前愛したブルーノート東京で行われた。嵐の二宮和也(41)は「お父さんみたい…というかお父さん」、菊川怜(47)も「家族になってくる空気」と口にするなど、参列者は芸能界の先輩を超え、家族同然だった小倉さんを失った悲しみや、お別れの会で“再会”できたことで新たにした思いを語った。

出会い、関わった全ての人にとって、小倉さんは太陽であり“家族”だった。司会の笠井信輔(61)は、冒頭で「20年以上ご一緒させていただいた一番弟子。天国から『笠井君さぁ』と言われないように、しっかりと務めさせていただきます」と開式した。

およそ700人を超える参列者は23年に撮影されたベースを手にした小倉さんの遺影を見上げ、顔を見合わせた。デーブ・スペクターは弔辞で「引き出しが多く、ウィキペディアの方が参考にすべき。さりげない激励の言葉は宝物でした。天国でも時々、伝説の豪華な忘年会をやってください」。

40年ほど前、お互い売れていない頃に出会った、同い年の寺尾聰(77)は弔辞で、昨年5月に誕生日の食事会を開いたことや、不調になった小倉さんの自宅を訪問し背中をさすったことを明かした。「『またな』と言ってくれた。頑張り屋のすばらしい友達。小倉智昭君…じゃあ、またな」と言い、声を詰まらせた。

99年9月にハワイ・ホノルルで開いたデビュー会見時から親交を深めてきた二宮の目には涙があった。最後に食事をしたのは1年半ほど前で「飯を食った時の小倉さんのまま、ずっと思い出はあります。最後まで心配かけっぱなしだと思うから飯、行くぞとなったんだと思う。小倉さんに怒られないように頑張って働きます」と誓った。

フジテレビ系「とくダネ!」で5年3カ月、タッグを組んだ菊川は涙が止まらなかった。昨年11月17日の電話が最後だったが、当時は離婚を発表したタイミングで「心配して逆に連絡をくれた」という。「私もつらいことがあって『前向きにやっていけるか自信がない』と言った時『怜ちゃん、大丈夫だよ』と(闘病で)大変な時なのに支えてくれた」と感謝した。

竹下景子、関口照生さん夫妻、山下真司、西武西口文也監督、栗山巧外野手らも参列した。【村上幸将、川田和博】

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