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永瀬正敏3.11への思い込めた原案&主演作が、名古屋1館ので限定公開から11年経て全国公開に感慨


永瀬正敏が主演・原案を務める短編映画「いきもののきろく」が全国公開を果たしました。この映画は、名古屋市のミニシアター「シネマスコーレ」での限定公開から11年を経ての実現となり、永瀬はこの成果を監督や劇場への感謝として語りました。映画は東日本大震災の被災地を訪れた経験が根底にあり、廃虚のような街でいかだを作り続ける男と訪れる女の物語を描いています。セリフを廃して字幕で物語を進行するスタイルを採用し、シンプルな言葉によって伝える力強さが際立っています。また、永瀬の被災地での体験が脚本に強く影響を与えました。主演には当時学生だったミズモトカナコが抜擢され、この映画の全国公開が多くの人にその意義を感じてもらう機会となっています。

映画「いきもののきろく」初日舞台あいさつに登壇した永瀬正敏(撮影・村上幸将)

永瀬正敏(58)が7日、東京・テアトル新宿で行われた原案・主演の短編映画「いきもののきろく」(井上淳一監督)初日舞台あいさつに登壇した。14年3月に名古屋市のミニシアター「シネマスコーレ」1館で限定公開されてから、11年の時を経て全国公開が実現したことに「監督のご尽力と、テアトル新宿に(スクリーンを)開けていただいて感謝です」と感謝の言葉を口にした。

撮影は13年に名古屋で行われたが、根底には永瀬が自ら東日本大震災の被災地を回り、人々と語り合った記憶、思いがある。くしくも、東日本大震災が発生した3月11日が間近に迫った中での全国公開実現に、永瀬は「いいことなのか、悪いことなのか? ということはありますけど、僕らは作品として残すことしかできない」と、かみしめるように口にした。

「いきもののきろく」は、井上淳一監督(59)の13年の長編映画監督デビュー作「戦争と一人の女」に主演した永瀬が、シネマスコーレでの舞台あいさつに登壇した際、当時の支配人の木全純治さんから名古屋市内の中川運河を舞台とした短編映画を、監督として製作しないかと打診されたのがきっかけ。永瀬は「無理です」と監督を務めることは固持したが「出演は、いいです、井上監督でしたら」と伝えた。すると、2回目の舞台あいさつ後、劇場前に車が用意されており即、ロケハンし、回った中にあった鉄くずの工場が舞台となった。永瀬は「40何年(俳優を)やっていて1番、段取りが良い。有無を言わさぬ感じ」と笑いながら当時を振り返った。

ロケハン後、永瀬は原案とプロット(あらすじ)を自ら執筆した。「散文のようなもの」と謙遜するが、誰もいない廃虚のような街で1人、いかだを作り続ける男の元に1人の女が訪れる物語を作り上げた。その根底には、東日本大震災の被災地を回った中で、被災した人々から「何か残してくださいね」と託された思いがあった。「僕らは、ミュージシャンの方のように歌って寄り添ったり、本業に即効性がない。何も役に立たない」とじくじたる思いを抱く中、被災地を回った中で出会った人、聞いた言葉が「強烈に残っていて書いたものが(プロットに)焼きついた」という。

そのプロットに、井上監督が東日本大震災後のイメージを加えて脚本を執筆し、原発事故後の誰もいなくなった世界に取り残されたような男と女の話を作り上げた。永瀬と井上監督が話し合い、作り上げた中で、特に映画に色濃く、残った永瀬の記憶がある。

「おじいさんが、ご自宅のあった場所で、お片付けされていて。『がれき、がれきって言うけどもよ、大事なものだったんだ。生活の一部だったんだよ』と言われたのが、監督と話していた中(脚本に)焼きついた」

今作の特徴が、セリフを廃し、芝居の間に短いセリフを字幕で差し挟む、無声映画のような作りだ。シンプルな言葉しか劇中に入れ込まなかったことにも、狙いがあった。

「『昨日まで、おやすみ、今朝まで行ってらっしゃいって言えたのに…言えなくなっちゃったんだよ』というの(被災した人の言葉)が、深く突き刺さりまして。シンプルな言葉を普通に言えなくなった悲しみを感じ、残りまして…ほとんどセリフがなく字幕しかないんですけど、思いを込められたらな、という感じ」

撮影は13年に行われ、女役には当時、京都造形大(現京都芸術大)の学生だったミズモトカナコ(32)が抜てき。同年に、同大の映画学科長だった林海象監督が永瀬を主演に迎え、90人の学生たちとともに作った映画「弥勒 MIROKU」での共演歴が買われた。

完成後、14年3月にシネマスコーレで限定公開された。当時は短編映画単独での劇場公開は難しい時代で、全国公開はかなわなかったが、24年10月にテアトル新宿で行われた井上監督の師匠・若松孝二監督をしのぶ毎年恒例の「若松孝二監督命日上映」で東京での初上映が実現。大好評で、シネマスコーレ1館の11年後に全国公開が実現した。

ミズモトは「より、たくさんの人に、感じてもらえるようになったのは、映画として意義があるものだと感じています。自分の中の傷と照らし合わせ、一緒に共有できたら」と全国公開実現を喜んだ。

永瀬は「3日くらい前から調子が良くなく、ずっと部屋にこもっていた。(公開前に)いろいろ考えて、知恵熱かな? 監督とミズモトさんと出会って元気になった。半歩、前に進むための何かになればいいな」と笑みを浮かべた。

舞台あいさつ後、パンフレットをはじめとしたグッズを購入した観客を対象に、永瀬とミズモト、井上監督のサイン会が行われた。列は上映後、40分以上も途絶えることがなかった。【村上幸将】

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