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「寂しがり屋」「『負けず嫌い』自称」八代亜紀さん一周忌に小林幸子、西田あいが思い出


演歌歌手の八代亜紀さんが亡くなってから1年が経ち、彼女の世界観を振り返る場として、都内でファンが訪問できる銅像の除幕式が行われました。八代さんの歌声と絵画への情熱を分かち合った小林幸子さんは、40年以上の友人としての思い出を語り、特にヒット曲「舟唄」に対する深い愛情を表現しました。小林さんは、彼女の描いた人物画を「宝物」と呼び、自宅に飾っています。また、西田あいさんも八代さんの影響を受け、彼女の絵画への熱意を称賛しました。八代亜紀さんの存在は、今も周囲の人々に強く残っており、彼女の歌声と芸術へ向けた情熱が多くの人に支持されています。八代さんの功績は今後も多くの人に語り継がれることでしょう。

小林幸子(左)と八代亜紀さんと、八代さんが描いた小林の人物画

<情報最前線:エンタメ>

「舟唄」など多くのヒット曲を歌った八代亜紀さんが、73年の生涯を閉じて30日でちょうど1年。今月19日には永眠する都内の寺院で銅像の除幕式が行われ、ファンの会いに行ける追悼の場ができた。優しい人柄と唯一無二の歌声で知られた八代さん。一周忌に合わせ、親交の深かった小林幸子(71)と西田あい(36)に思い出などを聞いた。【構成=松本久】

■40年以上のつきあい 小林幸子

小林 亡くなって1年になるのに「何でいないんだろう」って今でも思う。歌番組に出演すると亜紀さんを探している自分がいるんですよね。「さっちゃん、おはようございます」なんて言われそうな気がする。だからつらい。ずっとつらいです。そして寂しい…。

こう言って、涙で声を詰まらせた。

親しくなったのは1979年(昭54)。この年に小林は「おもいで酒」、八代さんは「舟唄」がともにヒットし、歌番組などで一緒になる機会が急増した。自宅も近所だった。

小林 家に伺って、亜紀さんはお酒を飲まないから私が全部飲んじゃったり。すごく寂しがり屋で『もう帰るの?』と聞いてきたり。優しい人で怒った顔なんて1度も見たことがない。

40年以上の付き合いの中で、21年に描いてもらった肖像画が宝物だ。自宅に飾ってある。

小林 楽屋で美空ひばりさんのデッサンをしていて「すごいなぁ~」と思って見ていたの。そこで「私にも描いて」とお願いをしたんです。

お気に入りの写真を渡した数年後に完成した。

小林 すっごくうれしかった。顔や髪の毛の1本1本まで間違いなく私。イヤリングはイメージで描いてくれました。宝物です。それが形見になってしまいました。

「演歌の女王」と呼ばれた八代さんは女性演歌歌手のレコードとCDの売上枚数1位の記録を持っている。そんな八代さんを「唯一無二の歌手」とたたえ、特に艶っぽいハスキーボイスは「他の誰も持っていない」と言い切る。

小林 ハスキーな人はいるけれど八代さんは違う。低音は響いて高いところはピーンと張る。ハスキーな中にキューンって光が入っているみたいな声。そして色っぽい。独特のものを持っていて本当に素晴らしい。芸術的です。

そう絶賛する中でも、特に好きな曲が「舟唄」だ。

小林 他の人が歌っていて「自分のものだったらいいのに」と思った曲が1つだけあって、それが「舟唄」。素晴らしい名曲です。亜紀さんにも言ったことがあるんです。そうしたら「ありがとう」って。でもね、八代亜紀じゃないと歌えない歌なんですよ。

最近、歌番組の八代さん追悼特集で「雨の慕情」をリクエストされた。

小林 もちろんよく知っているけど自宅のカラオケで練習をしたんです。そうしたら、元気できれいな亜紀さんが映像で出てくるんですよね。もう歌えないです…。

取材中、何度も涙声になった。

小林 別れって、思い出に変わるまではただの痛みでしかない。本当にそう思います。亡くなったことはもちろん分かっているんです。でも、まだ痛みでしかないですね。

最後に八代さんに伝えたいことをたずねた。

小林 まだまだ歌いたかっただろうし、絵などやりたいことがいっぱいあったはずなんです。早すぎたでしょって言うしかない。

そして「もう1度会いたい」とかなわぬ願いを口にした。

◆小林幸子(こばやし・さちこ)1953年(昭28)12月5日、新潟市生まれ。64年、10歳で「ウソツキ鴎」でデビュー。79年に「おもいで酒」が200万枚の大ヒット。NHK紅白歌合戦は34回出場。女優やYouTuberとしても幅広く活躍。06年に紺綬褒章を受章。血液型A。

■歌と絵画二刀流 西田あい

同じ九州・熊本出身の八代さんと鹿児島出身の西田は、歌手だけでなく絵画でもつながりがあった。

学生時代から趣味でイラストを描いていた西田は、自身のYouTube公式チャンネルの企画で19年12月に八代さんのアトリエを訪問。世界最古の美術展であるフランスの「ル・サロン」で5年連続入選をした実力に圧倒された。

23年5月に西田が初の個展を開催した際、八代さんは「本気で絵画を学びたいなら教えるからいつでも来なさい」と激励し、自身の画廊に西田の作品を飾った。

西田 入院をされる少し前でした。八代さんの作品たちと一緒に並べていただいて本当に感激しました。

絵画を始めた当初の八代さんは、歌との二刀流に必ずしも理解を得られなかった。

西田 世間からの冷たい目もあって「何くそ」みたいな気持ちでやっていたとおっしゃっていました。その強い思いを目の当たりにすると、これほどの方だから絵の世界でも評価されたのだと感じました。

冗談交じりに「負けず嫌いの亜紀ちゃん」と自称する言葉も何度か聞いた。

八代さんの行きつけだった焼き肉店に今も毎月通っている。

西田 「次はこの店で会いましょうね」と言って別れたのが最後だったんです。

死去から1年。

西田 不思議なのですが、いつもそばにいてくれるような感じがします。前向きに生きることが恩返しになると思うので、これからも自分の信じる道で頑張っていきます。

◆西田(にしだ)あい 1988年(昭63)7月14日、鹿児島県姶良市生まれ。10年に「ゆれて遠花火」でデビュー。個展「アイのイロ展」を23、24年に都内で開催。薩摩大使。焼酎アドバイザー。血液型A。

■会いに行ける「雨の慕情」銅像が都内に完成

八代さんの眠る東京・品川区の「安養院」に等身大の銅像が設置され、19日に除幕式が行われた。「手を合わせたいけれど、どこに行けばいいのか分からない」とのファンの声が所属事務所に多数寄せられたこともあって建立が決まった。像はヒット曲「雨の慕情」のおなじみのポーズをとっている。また生前の功績をたたえ、今年2月に熊本県が「県民栄誉賞」、八代市が「八代市名誉市民」を贈った。日本レコード大賞の「特別功労賞」も受賞した。

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